神武東征伝説と「幻の大和国」

今までもトンデモだったけれど今回はさらにトンデモ度がパワーアップするんで、そこんとこよろしく。もはや誰も読んでいないとは思うけれど…


神武東征伝説と徳川始祖伝説(その3)
徳川始祖伝説が世良田氏(新田源氏)のための伝説でなく、松平氏及び奥三河の住民のための伝説であるのと同様、神武東征伝説も元々は大和に東征したとされるニニギの末裔側(天津神系)の伝説ではなく、神武の后となったヒメタタライスズヒメ側(国津神系)の伝説であり、それがやがて、徳川家康世良田氏(源氏)の系譜を重視するようになったのと同様、いつの頃からか神武(天津神)の系譜を重視するようになったのではなかろうかというのが俺の出した結論。つまり伝説の原型は「大和の大和による大和のための伝説」ではなかったかということ。


ところで、一方、
ヤマトはなぜ都なのか?
で、ヤマトが都であるのは、地政学的な理由からであり、大和を地盤にした勢力が周囲を併合していったというわけではないと俺は考えていることを書いた。


単純に考えれば、上に書いたことと矛盾している。大和のための伝説が残っているのは、大和を地盤とした勢力が支配者になったからだということになるはずだから。


で、ここでまた俺のトンデモ思考が爆発するのであった。


(つづく)