神武東征伝説と「幻の大和国」(その3)

そもそも「日本神話」とは何か?

日本神話(にほんしんわ)とは日本に伝わる神話のことである。

日本神話 - Wikipedia


では「神話」とは何か?

神話(しんわ)は、説話の一種で、事物の起源や意義を伝承的・象徴的に述べる物語。

神話 - Wikipedia


「神話」は世界の成り立ちを述べた物語だ。そして「日本神話」は「日本につたわる神話」のことだ。これを「日本の成り立ちを述べた物語」と解釈することには問題があるだろう。


記紀神話は確かに「日本の成り立ちを述べた物語」ではある。だが、その神話の原型を遡れば、「世界の成り立ち」を述べた物語だったはずだ。それが「日本の成り立ち」を述べた神話に矮小化されたのは、長い長い歴史の中では「つい最近」のことだろう。


これは何も日本に限ったことではないだろう。俺は前に
イヌイットの伝説
という記事を書いた。グリーンランドで発見された凍結した人の毛髪からイヌイットアメリカ先住民とは異なるDNAが見つかった。そのことに関して朝日新聞の記事に、

イヌイットの間には「極北地域にはツニートと呼ばれる心の優しい巨人が住んでいた。だが我々の祖先を見たら、目から血を流して逃げた」という伝説がある。

asahi.com: 極北、イヌイット以前に「巨人」いた 毛髪で伝説裏づけ - サイエンス)

という説明があり、これに俺は大きな違和感を持った。なぜかというと「イヌイットの伝説」とは言っても、それは「世界の成り立ち」を述べたものであり、そこで語られる「我々の祖先」とは、すなわち「人類の祖先」のことであり、「巨人」とは異民族などではなく「人類」とは異なる種族であると考えるからだ。それが「イヌイットの伝説」という地域限定の伝説とみなされるようになるのは、世界には多様な民族がいて多様な伝説があるという認識を持ったときに、はじめてそうみなされるようになるのだと考えるべきではなかろうか。


「日本神話」でいえば、たとえば日本列島の島々はイザナギイザナミが産んだと記紀は伝える。しかし、それでは「世界の外の大陸や島々は一体誰が産んだのか」という当然の疑問が出てくる。


記紀の神話に南北アメリカ大陸やアフリカ大陸がどのようにして産まれたのかの記述がないのはなぜかといえば、それは当時の人々がそれらの存在を知らなかったからだと考えるのが常識的だろう。しかし、記紀が作られたとき、当時の人々は中国大陸の存在は知っていた。なぜ中国大陸の誕生について語られていないのか?


中国大陸は別の神様が作ったものであり、記紀はその記述を省略したということだろうか?俺にはそう思えない。「神話」は「世界の成り立ち」を述べたものだ。俺が考えるに、神話の原型は「男女の神が(世界のありとあらゆる)大地を産んだ」というものであったはずだと思う。それがやがて具体的な地名をともなったものとなっていったのだろう。


記紀神話では日本列島の島々を産んだことになっているが、最初からそうだったはずがないと思う。元々はいろんなバージョンがあっただろう。ちなみに「シマ」の意味は「アイランド」だけではない。今でも某業界で使われているように「縄張り」という意味もある。だから元は「○族の住む土地が最初に産まれ、次に○族の住む土地が産まれ…」という形の神話があったかもしれない。


記紀神話は神話の最終形だ。ただし、それが必然だったというわけでもないだろう。もし、大和朝廷の支配が大陸にまで及んでいたとしたら、「国産み神話」は別の形に発展していったかもしれない。そして、俺はあまり詳しくないが、実際、大陸進出が現実のものとなった明治時代以降に「発展」した解釈が存在したらしい。日本神話の国産み神話で日本列島の誕生しか語られず、それが固定化したのは、大和朝廷の発展がそこで限界を迎えたからだということだろう。そして、そのとき「外国」の誕生について語られていないのは、神話を「発展」させることが出来ない以上、それについての新しい神話を「創作」しなければならないが、「神話の創作」など当時の人々の思いもよらぬことだったからだろう。


そして、そのことは何も「国産み神話」に限ったことではないはずだ。神武東征伝説もまた、そういう視点で見てみる必要があるだろう。


(つづく)