赤い靴はいてた女の子は人間ではない

あらかじめ言っとくけど、これは俺が考えたトンデモ解釈。

赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行つちやつた

横浜の 埠頭(はとば)から
船に乗つて
異人さんに つれられて
行つちやつた

今では 青い目に
なつちやつて
異人さんのお国に
ゐるんだらう

赤い靴 見るたび
考へる
異人さんに逢ふたび
考へる

青空文庫


お気付きだろうか?この詩には大きな問題があるのだ。それは何かというと、人間の女の子は外国に行ったからといって目の色が変化するなんてことは決してないということだ。これが人間の女の子だというのは「ニセ科学」である。


では「女の子」の正体は何であろうか?一番可能性が高いのは、彼女が人間ではなく「人形」であるという可能性であろう。というか、それしか考えられないと言い切ってもいいのではなかろうか(終了)…



てなことを考えてみました。もちろん反論はあらかじめ予想できる。本当に「青い目」になったわけではない、これはあくまで詩的な表現であると。




ちなみに、上の引用は、「青空文庫」の
野口雨情 青い眼の人形
より。


タイトルの「青い眼の人形」はもちろん「人形」の歌。

青い眼をした
お人形は
アメリカ生れの
セルロイド

日本の港へ
ついたとき
一杯涙を
うかべてた

「わたしは言葉が
わからない
迷ひ子になつたら
なんとせう」

やさしい日本の
嬢ちやんよ
仲よく遊んで
やつとくれ


「赤い靴」の歌詞と対になってるように俺にはみえるのだが…


また、この詩集には「夢を見る人形」という詩があるということにも注目すべきだろう。

赤い靴 ほしがる
お人形さんは
赤い靴 はいてる
夢をみる

赤い靴 ほしがる
お人形さんは
夢で 赤い靴
はいてゐる

赤い帯 ほしがる
お人形さんは
赤い帯 しめてる
夢をみる

赤い帯 ほしがる
お人形さんは
夢で 赤い帯
しめてゐる


(追記)
「しゃぼん玉」/「赤い靴」『捏像』 - discussaoの日記
によると、野口雨情自身がこの童謡について語っているのが『捏像 はいてなかった赤い靴――定説はこうして作られた』(阿井渉介)に載っていて、そこで、『「青い眼の人形」と正反対の気持ちを歌ったもの』と言っているそうだ。あと、「いつも靴はいて元気よく遊んでいたあの女の児」とあるから、これだと明らかに「人間の女の子」ですね。