「大王」≒「天皇」なのか (その5)

「大王」≒「天皇」なのか (その1)
「大王」≒「天皇」なのか (その2)
「大王」≒「天皇」なのか (その3)
「大王」≒「天皇」なのか(その4)



「女帝中継ぎ論」
において、義江明子氏が

折口は、「ナカツスメラミコト」とは、神と天皇の間を媒介する「みこともち」(巫)のことだとした。本来の天皇(男)が欠位の際に、「みこともち」たる皇后が即位したのが女帝とみるのである

と「即位」という語を使っているが、折口が本当にそんなことを主張したのだろうかという疑問について書いた。


折口信夫「女帝考」(『折口信夫全集 第20巻』)で確認してみたが、やはり折口はそんなことは主張していなかった。

宮廷生活において、相竝んだ、すめらみこと・なかつすめらみことの兩様式の中、唯一つで進んでいかれるといふ形になる期間があつたといふだけである。

とある。スメラミコトとナカツスメラミコトの内、スメラミコトを欠いてナカツスメラミコトだけの状態の時のナカツスメラミコトが「女帝」なのであり、つまり、ナカツスメラミコトがスメラミコトに即位するのではないというのが俺の理解。



さて、折口説によれば「スメラミコト=男性」「ナカツスメラミコト=女性」ということになる。なるというかそうでなければならない。


ここで天皇=スメラミコト」であるとするならば天皇は男性でなければならない」のであり、古代の女帝は実は天皇ではないということになる(あるいは推古「天皇」の時点で「伝統」が途絶えた)。さらに江戸時代の明正天皇後桜町天皇は明らかに天皇であるから、ここにおいて初代神武以来の伝統が途絶えたことになる。女系がどうのと言ってる場合ではないのである…


しかしながら、折口説を正しく理解すれば「天皇=スメラミコト」ではなく「スメラミコトあるいはスメラミコトを欠いたナカツスメラミコト」が「天皇」と呼ばれたのだから実は問題ないのである(なお折口は神功皇后・飯豊皇女の時代にナカツスメラミコトの語は無かったとする)。


折口説が正しいとするならば、「天皇」という呼称の無かった時代の天皇を「大王」と呼びかえるだけでは古代王権を理解することは不可能なのだ。「皇后が即位した」と書く義江氏(その他一部歴史学者も)が折口の主張を正しく理解しているのか甚だ不安になってくる。


さらに重大なのは天皇」の呼称が存在した天武以降の「天皇」の定義だ。「天皇号は天武・持統朝以降でそれ以前は云々」という話は耳にタコができるほど良く聞くが、「天皇」号成立以降の問題点など少なくとも俺は聞いたことがない。しかしここに天皇及び古代史の謎を解くとてつもなく重要な手がかりがあると俺は思っている。


(つづく)