「大王」≒「天皇」なのか (その1)

天皇号については異論はあるだろうが、天武(7世紀後半)頃からというのが通説だ。それ以前の君主号は「大王」だったと考えられている。それを理由に歴史学者の著書には天武以前については「欽明大王」「推古大王」などと記述する用例が多い(欽明・推古も同時代の呼称ではないと断りを入れて)。


この件について大山誠一氏は『聖徳太子と日本人』(風媒社)で

 網野氏は、日本という国号と天皇号が、七世紀末ころに成立し、それ以前にはなかったことを強調する。だから、それ以前は倭国であって、日本ではないと言う。天皇号もそうである。応神天皇仁徳天皇というのはおかしい。その頃は、天皇という呼称がなかったのだから。しかし、こんなことにこだわっても、さほど意味があるとは思えない。歴史上の人物でも、名前を変えることはよくあるはずだ。特に中世に多いのではないか。一々、名前を変えて叙述したら分からなくなってしまう。名称の変更ということは重視すべきとしても、それよりも一貫して流れるモノの本質を正確に把握する方が重要ではないか。
 もちろん、秦が初めて中国を統一し、その王が、始皇帝を称した意味は大きい。初めて、中国全土を支配する、唯一絶対の権力者が誕生したのだから。しかし、日本の場合、大王が天皇と呼称を変えたからと言って、大きな違いはないのである。所詮、借り物である。『万葉集』などでは、依然として大王と歌われている。

と書いている。


網野善彦氏が言いたいのは、それを当然のことのように受け取る先入観が問題だということなのではないと思う。大王と天皇に大きな違いがあるから区別せよということではなくて、違いがあるかないかをよく考えなければならないので区別する必要があるということだろうと思う。区別しないとその問題意識が浮上してこないということを言いたいのだろう。


しかしながら、検証してみたところで、大王と天皇の違いに「さほど意味があるとは思えない」という大山氏の主張は、大山氏だけでなく広く歴史学者の一致した見解であろうとも思う。もちろん細かいことを言えば、対外認識の変化とか、権力の絶対性を誇示するためとかあるだろうけれど、基本的には称号を変えただけということになるだろう。


だとしたら大山氏の主張にも一理ある。そういう話なら研究対象は「天皇」の語源などが主なものになるだろう。それは学術的に意味があることではあるけれども、それだけの意味なら天皇号に関する研究ならともかく、それ以外の、まして一般向けの書物で一々「大王」と「天皇」を使い分ける必要は無いように思われる。


現状の歴史認識では、「大王」と「天皇」の使い分けなど、歴史学者とマニアックな歴史ファンの自己満足に過ぎないようにさえ思う。




ただし、俺はへそ曲がりなので、この「大王」≒「天皇」という現状認識が間違っている可能性を探求せずにはいられないのである。


(つづく)