「大王」≒「天皇」なのか (その2)

(トンデモ話だからついていけない人はスルーしてください)


まず断っておくが「大王」≒「天皇」では無い可能性といっても、それは王朝交替があったとかいう話ではない。中国では何度も王朝交代があったが皇帝は皇帝だ(ただし清の場合、大ハーンを中国風に皇帝と称したという話も聞くのでちょっと違うかも。あまり詳しくないけれど)。古代日本で王朝交替があったと主張する人もいるけれど俺は支持しない。また仮にあったとしても、それだけでは「大王≠天皇」を意味しない。


俺が言いたいのはそういうことではなくて「中世の日本国王」は誰かという話に近い。「日本国王」と言えば足利義満が使用した例が有名だが、これは冊封体制での呼称なのでちょっと適切じゃないかもしれない。それよりも崇徳天皇の「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」という呪詛の方がしっくりくるだろう。
崇徳上皇 - Wikipedia


「皇を取って民とし民を皇となさん」という呪いは鎌倉政権の成立で現実化した(本当に上皇が呪詛したのか後付けなのかは知らないが)。鎌倉政権が「皇」とか「王」とか呼ばれるほどの実体を持っていたかはともかく、そういう見方があったのは確かだろう。その後も室町政権、江戸政権と武士の世が続き、天皇は存続してはいたけれど、日本の実質的な統治者を「王」と呼ぶならば、それが武家(将軍)であったことは間違いない。


とすれば、日本の歴史を「国王」で区分すれば、古代は天皇が国王だったが、中世は将軍が国王だった


だが、もちろん「将軍」という称号は「天皇」を改称したものではない。日本人なら誤解することは無いけれど、日本のことをよく知らない外国人なら勘違いするかもしれないということも無くは無いような気もしないではない(自信はないが)。


さて、鎌倉幕府の初代将軍は源頼朝だ。頼朝は清和天皇の末裔であるから、頼朝が日本国王だとしたら、「王朝交替」と呼べるかどうかは確かなことはわからないけれど、普通は別氏族に王朝が交替したとみなすのだと思う(そもそも天皇は存在してるから正しい意味での「王朝交替」じゃないんだけど、あくまで考え方として)。ただ、源氏が三代で絶えて、その後、公家将軍となり、さらに親王将軍となった。4人の親王のうち宗尊親王後嵯峨天皇の皇子、久明親王後深草天皇の皇子だ。すなわち天皇の子が「日本国王」になったということだ。ということは、「天皇の王朝」から「武家の王朝」に移行したけれども、「王」の血統は同じだということになる。しかし称号は「天皇」ではなく「将軍」であり、もちろんこれは改称したものではない。そして天皇は消滅したわけではなく、名目上の存在になりつつも存続し続け、承認するだけとはいえ「将軍」を任命する立場にあった。


と、長々と関係なさそうなことを書いたが、もちろんそれには理由がある。


俺の言う「大王」と「天皇」は違うのではないかというのは、つまり「将軍」が「天皇」を改称したものではないのと同様に、「天皇」は「大王」の改称ではなくて、すなわち天皇」は「大王」を継承したものではなくて別のものを継承した可能性があるのではないかということだ。


では、何を継承したのかといえば、それは「皇太子」の役割を継承したのではないか


(いやトンデモすぎて本当にすまない)


(つづく)