Kousyoublogにお答えして

タカミムスヒ→アマテラス論の古事記日本書紀でのズレについて | Kousyoublog

私、溝口睦子氏の『アマテラスの誕生』は既に読んでおりまして、それについて記事も書いております。


『アマテラスの誕生』には次のように書いてあります。

七世紀末、律令国家の成立に向けて、強力に改革を推し進める天武天皇は、一方で歴史書の編纂を命じて、新しい中央集権国家を支えるイデオロギーとしての、神話の一元化をはかった。そのとき、皇祖神=国家神として選び取られたのは、それまでずっと皇祖神の地位にあったタカミムスヒではなく、土着の太陽神であるアマテラスだった。(p176)

すなわちタカミムスヒからアマテラスへの転換は、天武天皇によって始められたものであり、それが『日本書紀』につながっていくというわけです。


ここで、溝口氏が何を主張しているのかについて誤解があるようです。しかし、誤解するのも無理からぬところがありまして、溝口氏の「奇怪な思考」は常識的な思考ではなかなか理解しがたいところがあるのであります。


溝口氏は『日本書紀』の天孫降臨神話を取り上げて、タカミムスヒが本来の皇祖神だとの結論付けたのであります。常識的に考えればそれは日本書紀』が「皇祖神=タカミムスヒ」だと主張しているということになるはずです。しかし溝口氏はそうは考えていないのであります。

もっともタカミムスヒは、いきなり皇祖神の座から追い落とされたのではなく、しばらくは、時間をかけてかなり曖昧な形で推移した。しかしいずれにしても、この時、皇祖神の転換は行われたのであり、この時期以後、日本国の皇祖神=国家神はアマテラスとなった。(p176)

というわけです。


すなわち、『日本書紀』の本文に「皇祖タカミムスヒ」とあるにもかかわらず、溝口氏によれば、『日本書紀』は皇祖はアマテラスと主張しており、まだ転換の途中なのでタカミムスヒも併記せざるをえなかったということであります。『古事記』についても同様であります。


既に書いたようにこれが逆なら、すなわち「本文」にアマテラスがあって、従来の皇祖神タカミムスヒを消し去ることがまだできなかったので「一書」において記さざるを得なかったという話であれば、その可能性はなくはないでしょう。しかし皇祖神をアマテラスに転換しようと考えているにもかかわらず、「本文」に「皇祖タカミムスヒ」とあるというのは、およそ考えられないことではないでしょうか。少なくとも「そう考えるのが普通だけれどかくかくしかじかの理由でそうではないのだ」という余程の説得力のある説明が必要でしょう。


なぜこのような奇怪な解釈がなされるのかといえば。溝口氏をはじめとした歴史学者は「アマテラス=皇祖神」ということが脳内に刷り込まれているがゆえに、それを否定する際にも記紀』以来ずっと「アマテラス=皇祖神」であったという固定観念を捨てきれないからであろうと思うわけであります。