聖徳太子が非実在だというけれど

何を今さらという感じだけれど、聖徳太子非実在説は相当広く信じられている。
「聖徳太子は架空の人物」 信じる若者たち


この記事を見ればわかるけれど、事の発端となった大山誠一氏の主張とは関係ない部分も多くあり、「聖徳太子はいなかった」(これは谷沢永一氏の本のタイトルだけど)という言葉が一人歩きしてしまっている。過激なキャッチフレーズは得てしてこういう弊害を生む。


それに加えて最近の教科書では「厩戸皇子聖徳太子)」と記述されているというこのがある。これは歴史上の人物は生前の名前で呼ぶべきだという考えでそうなっているのに過ぎず、別に聖徳太子虚構説を認めたものではないはずだが「聖徳太子はいなかった」が定説化したとの印象を強めている。


歴史に詳しい人なら、もう少し慎重になるだろうけれど、それでも「聖徳太子はいなかった」という問題提起は思考に枠をはめることになる。すなわち聖徳太子の実在性だけを問題視するということになってしまうということだ。


この時代の人物で実在性が疑われるのは聖徳太子だけだろうか?


俺はこの時代の人物は全て怪しいと思ってる。その中で聖徳太子だけが取り立てて疑われる要素があるとは思えない。むしろこの時代では聖徳太子厩戸皇子)と推古天皇が比較的実在性の高い人物であるようにすら思える。


聖徳太子が疑われるのは聖徳太子が一番有名な人物だからに過ぎないと思う。


聖徳太子以外の人物の実在はほぼ確かで聖徳太子だけが虚構だという考えは、考え方としてはありかもしれないけれど、俺は大きな問題があると思う。