少年厩戸皇子

守屋合戦の時、聖徳太子厩戸皇子)は14歳だった。14歳の少年が合戦で重要な役割を果たしたはずがないという意見がある。それはその通りだろう。


ただし、ここで考えなければならないと思うのは『日本書紀』の記事の元となったであろう史料において聖徳太子の年齢は何歳だったのだろうということ。そこでの太子が14歳だったとは限らないのではないか?もしかしたら立派な成人だったのかもしれない。我々は太子の出生から死までを見て総合的に判断するから太子は14歳かそれに近い年齢であったのだろうと判断して疑わないけれど、守屋合戦単独の史料があったならば、前後で年齢の矛盾が生じることを考慮する必要がなかったかもしれず、成人の太子が活躍する話だったのかもしれない。


もちろん、そうだとしても史実に反することであり、本当の太子は少年だったということにはなる。とはいえ、太子伝説がどのように形成されたかを考える上では考慮する必要があることだろうと俺は思う。


だが、一方、我々が信じている聖徳太子の年齢は確実なものなのだろうかという疑問も無くは無い。それは諸々の史料の分析による総合的判断によるものだとは思うけれど、それらの史料がどれだけ信用できるかとなると微妙なところだろう。


というわけで、太子研究は不確定要素がたくさんあって、どれか一つに決め付けて他を排除するような考え方はしない方が良いと思うのである。