この前「厩戸」を「うまやべ」と読む可能性について書いたけれど、石井公成教授の最新記事によると、井上薫「聖徳太子『異名』論--なぜさまざまな名をもつのか」(『歴史読本』1996年12月号)に「うまやべ」説が書かれているそうだ。
⇒厩戸は「うまやと」でなく「うまやべ」だとする説:井上薫「聖徳太子『異名』論」 - 聖徳太子研究の最前線
(俺の場合「駅戸」に関係があるのではないかという考えなのでちょっと違うけれど)
石井教授の評価は「論証としては弱い」ということなんだけれど、なぜ「厩戸」なのかということについての説で、これは正しいだろうといえるほど確かな説は無いと俺は考えるので、いろんな可能性を探ってみるのはありだと思う。
しかし、何年、何十年後であろうと、新史料でも発見されない限り、このことは謎のままであろうと思う。だからといって考えるのを放棄するのはよろしくないとも思う。いろんな説を出し合って、最も適切に説明できる仮説を導き出すことは意味のないことではない。
⇒アブダクション - Wikipedia
個人的には「厩戸」の由来がこれほど不明だということは、それ自体が意味のあることなのではないかとも思う。可能性としては、厩戸皇子が特別な存在であったのかもしれない。あるいは、一般に考えられている生前に呼ばれていたということも見直す必要だってあるかもしれない。
それについて考えていることはあるんだけれど、それはまたいつか。
※ ところで井上説では、厩戸出生伝説は「厩戸」の由来が忘れられた結果生まれたとされているみたいだけれど、そんな条件は必要ないように思う。、