⇒平安時代に廃止された死刑制度の真相 全国に天満宮を建立してもなお恐れた神のたたり JBpress(日本ビジネスプレス)
厩戸皇子一族の殲滅は、よほど手ひどいものだったのでしょう。勝者の側は、その後起きる疫病や天災、飢饉などのほとんどすべてを、厩戸一族のたたりと考えました。
その結果が「聖徳太子」あるいは「上宮法王」などという極端な敬称であり、供養に供養を重ねて悪霊の乱れる心を癒やす試みが行われました。
はてなブックマークで見つけた記事。現在4ブクマ。それほど話題になっているわけではないからスルーしようかと思ったけれど、筆者の名前に見覚えがあった。
⇒歴史を都合よく改竄した欧米、その巧妙な手口 「歯ブラシは豚の毛で作られた」が示す、歴史の罠 JBpress(日本ビジネスプレス)
を書いた伊東乾氏であった。
⇒歯ブラシの起源 - 国家鮟鱇
⇒Wikipediaのみに依拠して歴史の「改竄」を叫ぶ人 - 枕流亭ブログ
さて、聖徳太子怨霊説は良く知られるところだが梅原猛氏が提唱したものだ。この説は学界では否定されている。いわゆるトンデモ説である。ただし、俺はトンデモに対する許容度が高いので、そういう説を紹介したって構わないと思っている。
⇒隠された十字架 - Wikipedia
しかし、これは死刑制度の是非に関する話だ。そこにトンデモ説と知りながら何の断りもなくこんな話を持ってきたのだとしたら神経を疑う。もしこれがトンデモ説だということを知らなかったのだとしたら学識を疑う。どっちにしろアウトでしょう。
なお、伊東氏は、
そのあとこんなことになってしまい、どうしても気になりましたのでいくつか調べてみたのですが、史料に当たってみると、思うより生々しい実態が浮かび上がってきました。
と書いている。素直に読めば伊東氏の聖徳太子怨霊説は史料に当った結論だと読める。だけどそれは極めて疑わしい。史料を当ってそのような結論を出すのは相当史料を読み込まなくてはならないだろう。実際は梅原氏か、それを継承した井沢元彦氏の著書などを見たのだろう(もしかしたらそれさえ読んでなくてネットか何かで得た知識かもしれない)。万一、史料に当った結果だとしても、それはそれで正否以前の問題として、自己流の解釈だけで死刑制度の是非について断定的に語るということの神経が疑われる。
※ちなみに「平安時代に廃止された死刑制度」とあるけれど、死刑廃止というより死刑停止と呼ぶべきものだと思われ(俺も詳しくないんだけど)。
平安時代には、嵯峨天皇が弘仁9年(818年)に盗犯に対する死刑を停止する宣旨(弘仁格)を公布した。死刑を全面的に停止あるいは廃止する法令が出されたことは無いものの、死刑の範囲が縮小するとともに実際に執行されることがなくなり、やがて全面的な死刑の停止が先例(慣習法)として確立されたと考えられている。
※なお「死刑停止」と怨霊信仰の関係は別にトンデモというわけではない。ただし、これもまた史料に当ってみたらわかったというのは極めて疑わしい。
(追記)
⇒伊東乾 Ken ITO
2ちゃんねるのスレッドを読んでたら福井某という懐かしい名前が出てくるんだけどこれって一体どういうこと?
(その他)
中大兄皇子が皇極天皇4年(645年)6月12日に20歳で乙巳の変を起こしたとき、大海人皇子は年少であり、おそらく陰謀には関わらなかった[6]。