素人の歴史研究について(その5)

しつこいようだけれどこれは俺のアイデンティティに関わることなのだから、しつこくなる。


それは「素人にだって言えることはある」ってことだ。


そりゃ論文を精読してなければ言えないこともある。でもある程度の情報が揃っていれば言えることだってある。


たとえば「みかんに罵声を浴びせたら早く腐り、やさしい言葉をかけたら腐らない」というのが疑似科学だなんてことは、生物学や物理学に通じていなくたって、常識で判断できることだ。何の根拠もなしに「間違ってるに決まってるだろバーカ」みたいなのは好ましくないが。もちろん生物学や物理学に通じている方がより説得力が増すのは言うまでもないけれども、学術論文を読んでないことをもって、批判する資格がないなんてことはないでしょう。そういう理屈でもって批判を封じ込めようとうするのは大抵は「信者」ではないかと思いますね。


もちろん常識だけで考えては間違うものもある。量子力学なんて日常生活における常識で考えたら非常識きわまりないけれど、それでもって量子力学は間違ってるなんていったら、言ったほうが白い目で見られることになるでしょう。


歴史研究だって、論文や史料を精読していなければ迂闊に言えないこともあれば、(論文や史料を精読したほうが良いにしても)ある程度情報が揃っていれば言うことができることもいっぱいあるでしょう。


俺がやっているのはそういうことなんですよね。


たとえば、これはこのブログではまだ書いてなかったけれど「信長の天下布武」。神田千里氏の『織田信長』(2014)に

これらの名だたる大名らに対して「天下統一」の野望を公言することは、余りにも不用意だという印象はぬぐえない。
なぜならば、「天下布武」の印判状を用いることによって、織田信長の野望は全国に知れわたるだろう。全国に割拠する諸大名たちは、自分たちの征服をめざす武将が、京都に登場したことを知るに違いない。そうなれば却って諸大名の警戒を引き起こし、周囲の大名が連合して大規模な反信長戦線が形成されるかもしれない。

とある。その点全く同意する。


でも、これは俺が10年以上前から、考えていたことである。


きっかけは、俺がまだ日本史の初心者で、井沢元彦の『逆説の日本史』にも読むべきところがあるのではないかと考えていた頃。「逆説」第一巻で井沢氏は「安土」の地名由来説に対して、そうではなく信長は自身による独裁国家を建設しようとしていて天皇の都である「平安京」に対抗して「平安楽土」の略の「安土」と名付けたと主張した。


そこで疑問に思ったのが、そんな天皇に反抗心むき出しの理由で名前をつけたら、当然朝廷は反発するだろうということ。しかしそんな話は聞いたことがない。そして安土にそんな意味があるのなら貴族は日記で「安土」などという言葉を使用しないだろうということ(その頃はまだ史料を調べるなんてことはしておらず、そう思っただけで確認はしなかったけれども)。


井沢元彦氏は作家であって学者ではない。当時も批判があることは知っていたし、全てを信じていたわけではない。でも面白い視点を持っているとは思っていた(その後全くデタラメだということを理解したけれど)。だから「安土」の命名理由についてもそれなりに興味を持って読んでいたけれど、その点が納得できなかった。


ただ「安土」については、井沢氏という非専門家の話だとしても、同じことは「岐阜」についてもいえることだ。周の武王にちなむということは王朝を倒して織田王朝を開くということではないか?そんなことを公言して何の得があるのか?本当にそれを望んでいたとしても周囲から警戒されて潰されてしまうではないか。また貴族が信長と交際するなんてことがありえようか?まあ当時既に岐阜については地名由来説という別の理由で周の武王にちなんでという説が否定されてたんだけれども。


そしてもちろん同じことは「天下布武」についても言えるわけで、こちらは学者が「天下統一の意志を示したもの」だという説明をしていたのである。つまりアマチュアトンデモ作家のたわごとで終わる話ではない。なお当時は信長が朝廷を倒そうとしていたという論も活発に行われていたから、なおさら「公言」していたというのは不思議なことに思えたのだ。


で、これに疑問を持つのには、信長に関する史料を精読する必要なんて無い。「信長が天下統一の野望を公言していた」という情報と、信長に関する僅かな知識さえあれば、気付こうと思えば気付くことのできるものであろう。


もちろん知識があれば、そこからさらに「天下」とは何かとか、精緻な議論ができるだろうけれど、疑問を持つだけだったら僅かな常識さえあればできるのだ。


俺がやっているのはそういうことなのだ。学者の目指してるものとは違うのである。