素人の歴史研究について(その1)

わかってるとは思うけれど俺は専門家ではない。また専門教育を受けたわけでもない。単なる歴史好き。歴史に関する書籍やネット記事を見ていると、疑問にぶち当たることがある。それは一体どういうことなんだろう?とあれこれ考察するのが好き。


たとえば織田信長は周の武王にちなんで「岐阜」と命名したという説が大いに流通している。ところが信長以前から岐陽と岐阜陽とか呼ばれていたという説がある。俺が歴史に興味を持った2000年頃には大いに論じられていた。ところが、そもそも「周の武王にちなんで命名した説」の出典だと思われる『政秀寺古記』の該当部分を説明した記事をいくら読みなおしても「周の武王にちなんで命名した」とは読み取れない。
岐阜観光コンベンション協会|織田信長と岐阜 9.「麟象」花押・「天下布武」印章
織田信長の岐阜命名 - 国家鮟鱇


『政秀寺古記』に「周の武王にちなんで命名した」と書いてあると記しているのは俗書だけではなくて学者の著書にもそう書いてある。しかし、それは本当なんだろうかと疑問に思う。


それについて考えるには『政秀寺古記』の原文を読む必要があるだろう。ところが『政秀寺古記』を読むにはどうしたらいいかがわからない。いや正確には検索すると「名古屋史談會」が出版したものがあるみたいだけれど、俺の住むところでは県立図書館にも置いてない。本格的に調べるのならば国会図書館なりで調べるべきなんだろうけれど、プロでもないのに金にもならないことでそんな金と時間を費やすことには躊躇する。


また『安土創業録』にも同種のことが書いてあることを、近代デジタルライブラリーの『岐阜史略』を読んでいて知ったけれども、『安土創業録』もまたどうしたら読むことができるのかわからない。


また、「周の武王にちなんで命名したと伝えられています」と説明するところもあるので、もしかしたら文献史料ではなく、口伝がある可能性も無くはないけれど、これについてもどうやって調べたらいいのか全く思いつかない。


つまり、本格的に調べようとしたらお手上げ。


しかしながら、上の「岐阜観光コンベンション協会」は専門家が書いていると思われるのである程度信用できると思うし、『岐阜史略』もまたある程度信用できると思われるので、代替措置としてそこには正確なことが書いてあるとみなすのは、完全ではないにしろ、そこが(やろうと思えば不可能ではないにしろ)素人の限界というものでしょう。


読む方も俺が書いているのはそういうものだと理解した上で読んでほしいと思いますね。まあ説明しなくてもわかっているとは思うけれど。