信長の天下

「織田信長 (人物叢書)」池上 裕子 著 | Kousyoublog

彼の事跡や生涯についてはまぁよく知られている通りで、本書でも手堅く定説が記述されている。著者のスタンスとしては『信長を英雄視しない』とするもので、その生涯を辿るにあたって、「天下」という言葉の意味するものの変化に注目している。

戦国時代、「天下」は必ずしも日本を意味していなかった。信長自身、「天下」を日本の意味で使ったことは無いし、信長が掲げた「天下布武」「天下静謐」という言葉における「天下」も日本を指していない。中世末期の「天下」の使われ方は、『天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがある』(P57)とされる。

信長の「天下」の意味についてはこの本に書かれているような考えが現在の定説だ。でも俺は納得していない。その理由について書く。現在の定説からは大きく外れているのでトンデモということになるけれど…


前に書いたけれど「天下布武」の意味。
天下布武の意味
これは「天下に武を布(し)く」という意味だというのが主流だ。


しかし、これはそういう意味では全くなくて「天下を大股で歩く」という意味であり、信長の野望を表現したものではなくて、信長の生き方、自己の哲学を表現したものである。


というのが俺の現在の考え。定説とは全く異なるが俺としてはそうだとしか考えられない。



ところで、信長を扱ったドラマや小説を見たことのある人なら誰でも知っていると思われるが、

人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか

という有名な幸若舞の一節がある。津本陽の小説では『下天は夢か』とタイトルにもなっている。桶狭間合戦の前夜に信長がこれを謡ったと『信長公記』にある。
敦盛 (幸若舞) - Wikipedia


ここで注目すべきは「下天」だ。本来は「化天」である。

「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8,000歳とされる。

それが『信長公記』では「下天」と表記される。もちろん信長は謡ったのであって文字にしたのではないから、太田牛一がそう表記しただけであって、信長としては「化天」だったという可能性はある。


しかし「下天」と「天下」の関係は大いに気になるところである。


なお、「デジタル大辞泉」によれば「下天」の意味は

1 天上界の中で最も劣っている天。⇔上天。
2 人間の世界。
「人間五十年―の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」〈幸若・敦盛〉

げてん【下天】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
となっている。


「人間の世界」すなわち「天下」ではないか。池上裕子氏の『織田信長』(吉川弘文館 )は史料の検証によって「天下」の意味を解明しようとしているけれど、この「下天」については触れられていない(まあそれが普通なのだろうが)。


あと、ざっと見て思うのは、近年足利将軍の権力についての見直しが急速に進んでいるように思われるが、それがまだ反映されていないように思われる。