「人間五十年」の意味

ウィキペディアの説明によると

「人間(じんかん)五十年」は、人の世の意。 「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8,000歳とされる。「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」の正しい意味は、「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」である。

敦盛 (幸若舞) - Wikipedia


同様の説明はネット上にも多く紹介されており定説であるかのようになっている。しかしどれもこれも出典が書いてないので困る。一体この説は誰の説で、学界ではどのように評価されているのだろうか?それがさっぱりわからないのだ。


それと上の説は少し歴史に詳しい人にとっては常識的なものだろうけれど、一般的には
「人間五十年」というのは当時の人の平均寿命が50歳だったからという受け止められ方の方が流通しているように思われる。信長は50歳に1年足りない49歳で本能寺にて斃れたとかいったように。それどころか、たまたま今読んでるので気付いたのだが、『黒田如水』(小和田哲男 ミネルヴァ書房)は2012年1月10日初版だけれど、そこに

天正十七年といえば、如水は四十四歳で、「人間五十年」などといわれた時代にあってもまだ働き盛りとの印象がある。

なんて書かれている。歴史学者でさえこの解釈だ。



ところで「人間」は「にんげん」なのか「じんかん」なのか?これを単に読み方の問題とするならどっちでもいいけれど、「人間」が「ひと」のことなのか「人の世」のことなのかでは解釈が大きく異なってしまう。


おそらく本来は「じんかん=人の世」だったのだろうと思う。ただ信長の「人間」もそうなのかというと「ひと」のことではないかと思えなくもない。


というのも前に書いたように「下天」の意味が

1 天上界の中で最も劣っている天。⇔上天。
2 人間の世界。
「人間五十年―の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」〈幸若・敦盛〉

げてん【下天】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
となっているからで、「人間」を「人の世」と解釈して、なおかつ「下天」を「人間の世界(人の世)」の意味とするならば意味不明になってしまうと思うからである。


とすれば、「下天」とはウィキペディアの説明にあるように「六欲天の最下位の世」で、人間界の50年は下天の一日にしか当たらないという意味に解釈すべきであろうか。ちなみに「六欲天の最下位の世」とは「他化自在天」のことで、あの第六天魔王の住むところだ。
(訂正:「他化自在天」は「六欲天の最下位の世」ではなく最上位)


一方、「人間」を「ひと」と解釈すれば、人の50年は一人の人生に該当するほど長いものだけれど、「人の世」の長い歴史に比較すれば短いものである、ということになろうか。信長は死後の世界を信じていなかったから、来世のことなど考えず、この世に生を受けた上は命のある限りおのれのやりたいことをやるのだということになるのではないだろうか。俺の考える「天下布武」の意味は「天下を大股で歩く」であり、それとも合致することになろうと思う。


なんてことを考えるのだが、とにかく「人間五十年」の意味を説明している学術的な本はないだろうか?あったらぜひ教えてほしいと切に願うのである。