「あざい」か「あさい」か(その5)

さて大分県の「朝日長者伝説」

大分の伝説 久住高原長者原に伝わる朝日長者伝説 説明文写真付
「ふる里の蒸気機関車」VOL15
朝日長者伝説と土壌肥料学 (情報:農業と環境 No.99 2008.7)
075朝日長者 九重高原


近江国浅井郡に浅井藤彦という人がいて、神功皇后新羅出兵の時の功績で玖珠郡を賜り、一族で移り住んだ。17代目の浅井長治は後千町前千町という広大な美田を持つまでになった。長治は朝日長者と呼ばれた。驕った長治は沈もうとする太陽を沈まないように扇で招いた、または鏡餅を射ると白鳥になって飛び去った、ということがあった後に没落した。


というような話。鏡餅云々は鎌倉時代成立の『塵袋』に「豊後国風土記逸文」として載る「餅ノ的、白鳥トナル」が発展したものだと考えられる。餅が白鳥になる話は伏見稲荷の伝説が有名。太陽を招いて没落する「朝日長者伝説」は各地にある。


もちろんこの話が史実のはずがない。大分に古代豪族の浅井氏の一族がいたということはありえるかもしれないけれど、これも確かなことではないだろう。


ただし、この伝説で「浅井」と「朝日」が関連付けられているのは、ほぼ間違いのないところだと思う。ダジャレだろうけれども、それを近江の浅井氏と結びつけるのは、何らかの理由があったのかもしれないと思う。浅井氏は近江国浅井郡発祥の他にもいる。また朝日長者を浅井氏にしなければならないというわけでもない。


なお浅井長治には3人の娘がいたそうで、しかもその娘が水の神の龍神と関わっている。浅井長政と名前が似ており娘の数も同じで、長政の娘も「江」とか「淀」とか水と関係する呼称なのが気になっている。また浅井姫を祀る都久夫須麻神社が水と関係することはいうまでもない。でも浅井長治は「あさいちょうじ」と読んで名前まで含めて「あさひちょうじゃ」のダジャレなのかもしれず、長政とは全く関係ないのかもしれない。