豊臣秀吉と「猿」(その4)の続き。
前の記事で、
歴史家は気付いていないかもしれないけれど「猿・日吉」と「日輪懐胎伝説」には宗教的に密接な関係がある。
と書いた。そのことについて。
豊臣秀吉に言及したものは世の中に山ほどあるけれど、なぜか(おそらく)誰も指摘していないことがある。
それは、幼名を「日吉丸」と言った超有名人がいるということ。
その人物の名は「良源」。慈恵大師(じえだいし)、元三大師(がんさんだいし)という名で知られる。
良源は延喜12年(912年)、近江国浅井郡虎姫(現・滋賀県長浜市)に、地元の豪族・木津(こづ)氏の子として生まれた。幼名は観音丸(日吉丸とも)といった。12歳の時(15歳ともいう)、比叡山に上り、仏門に入った。
秀吉研究者の中には「日吉丸」という名を持つ人物が他にいたということを知らない人が多いのだろうと予想する。知ってれば少しは言及があっても良さそうなものだ。
また、『真書太閤記』によれば、秀吉の祖が比叡山の僧で還俗して近江国浅井郡長野村に住んでいたとあるから、その点も注目すべきだろう。
しかし、何よりも注目すべきなのは、良源の母が日輪が懐中に入る夢を見て懐妊したということだ。
(つづく)