[歴史と伝説]綿(ワタ)の語源について(その4)

万葉集

蜷の腸 か黒き髪に 真木綿もち あざさ結ひ垂れ 大和の 黄楊の小櫛を 抑へ挿す うらぐはし子 それぞ我が妻

という歌があった。
万葉散歩

原文だと

蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄楊乃小櫛乎 抑刺

(どっかで見た歌だと思ったら「「あざい」か「あさい」か(その6)」で取り上げた歌だった)


「みなのわた【蜷の腸】の意味 - goo国語辞書
かわにな【川蜷/河貝子】の意味 - goo国語辞書


蜷(みな・にな)の腸(はらわた)が黒々としていることから「か黒し」にかける。「蜷の腸 か黒き髪に」で「(蜷の腸のように)黒々とした髪」という意味。


真木綿」は「まゆふ(まゆう)」と読む。木綿(もめん)のことではない。

木綿(ゆう)とは、楮(こうぞ)の木の皮を剥いで蒸した後に、水にさらして白色にした繊維である。玉串[1]や大麻[2]の麻苧を木綿(ゆう)と呼ぶ。

利用

古代、日本に木綿(もめん)が伝わらなかった時代には、麻を主としつつも、様々な植物が糸・布の原料として利用された。楮もその一つで、そこからとった「ゆう」(旧仮名遣いで「ゆふ」)が「木綿」と書かれた[3]。これを織って作った布は太布(たふ)、栲(たえ/たく)、栲布(たくぬの)などと呼ばれる。ただし、太布は藤蔓(ふじつる)からとった布も含む[4]。また、木綿(ゆう)から作られた造花を「木綿花(ゆうはな)」と言う。

神道においては木綿(ゆう)を神事に用いる。幣帛として神に捧げるほか、紙垂にして榊に付けた木綿垂(ゆうしで)、冠に懸けた木綿鬘(ゆうかずら)、袖をかかげる襷に使用した木綿襷(ゆうだすき)と、日常用の素材としては廃れた今でも神事では使われることがある。

木綿 (ゆう) - Wikipedia


※ 万葉集には先の山田巌論文にも書いてあるが

白縫 筑紫乃綿者 身箸而 未者伎袮杼 暖所見

のように「綿」を「ワタ」と読ませたものが三、四例あるという。また

伎倍比等乃 萬太良夫須麻尓 和多佐波太 伊利奈麻之母乃 伊毛我乎杼許尓

と「ワタ」を一字一音式の万葉仮名で表記されたものが一例ある。「和多佐波太」は「ワタノサハダ」と読む。「サハダ」は「多だ」で「多い」という意味だそうで、綿がたっぷり入ってるということのようだ。しかしここで「波太(はだ)」とあるのは気になるところではある(関係ないかもしれないけど)。


それはともかく、万葉集の原文でも「真木綿」と書いているので「木綿(ゆう)」が「わた」に分類されていたことは明らか。木の皮から取ったものも「ワタ」であった。ただしそれは字の上でのことで、読みは「ゆふ」ではあった。これをどう解釈すれば良いのかは悩む。植物繊維一般が「ワタ」だったのだろうか?

当時の日本では絹は別格のものとされていたため、布の概念には含まれておらず、『大宝律令』でも絹と布は分けて書かれている。また、毛織物や木綿も当時の日本では生産されていなかった。従って当時の「布」は麻・苧・葛・藤・楮などで作られたものだけを指していた。

布 - Wikipedia
ということは楮(こうぞ)以外の「麻・苧・葛・藤」も「ワタ」なのだろうか?このへん知識不足で全くわからない。


(追記9/24 22:20)
考えてみれば髪の毛もまた細長い糸状のものであり「ワタ」と言えるかもしれない。「蜷の腸」は単に色が黒いというだけではないのかもしれない。