綿(ワタ)の語源について(その3)

ところで「綿の語源について」(山田巌)では全く触れられていないことがある。


それは「綿(わた)」と「海(わた)」との関係。

古事記』は綿津見神(わたつみのかみ)、綿津見大神(おおわたつみのかみ)、『日本書紀』は少童命(わたつみのみこと)、海神(わたつみ、わたのかみ)、海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)などの表記で書かれる。

ワタツミ - Wikipedia
古事記』では「海(わた)」が「綿」と表記される。


もちろんこれは音が同じだから当てただけなのかもしれないけれども。しかしながらそれだけではないように思えてしまうのは、秦氏の「ハタ」と「ワタ」の関係
八幡の由来 - 国家鮟鱇
これもすっかり忘れていたが思い出した。なおこれを書いた時には知らなかったことだが『人物草書 秦河勝』(井上満郎)に

 韓国語において「海」はいまでもpadaである。この音は確かにハダに似ている。ハダ氏はこの「海」にちなんでハダ氏と名乗ったということも、音の限りでは納得できる主張である。その場合には主に二説がある。

秦氏の「海」渡来説を紹介している。なお秦氏は「ハダ」が本来の読みだとする。ちなみに「海」は「ワタ」だが後世は「ワダ」と読むそうだ。ところで秦氏の由来としては「機織由来の説」もあり、同書でも

秦氏は機織技術との強い関係を持っていて、それは前引のハタ氏の音の説明に「絹帛」を献上したといい、またそれをうず高く積み上げた(『日本書紀』『新撰姓氏録』など)、というところからも推定できる。確かに機織の機・ハタと、秦氏をハタ氏と清音で発音するとすれば音では同じになる。

と書いてある。秦氏は機織と関係があるので「ハタ」の由来が「機」だという説が一般的だと思われ、故に同書には書いてないけれども、秦氏は養蚕とも強い関わりがあるのであり「ワタ」と「ハタ」の関係も考える必要があるのではないだろうか?そして「ワタ」が「綿」だけではなく「海」も「ワタ」であり、秦氏の由来にも「海」が関わっているということに奇妙な符合があると思わずにはいられない。


しかし「海」と「綿」がどちらも「ワタ」なのはどうしてなのか?ということについてはわからない。ただし思いっきり飛躍した考えならなくもない。本当にもう完全にトンデモの領域に入ってしまうので書くのを躊躇するけれども、「海」は海水でできている。「水」は英語で「Water」。日本では通常「ウォーター」と表記するが「ワーラー」の方が原語に近い。「ワーター」でもいいだろう。つまり「わた」。これすなわち新村出氏の言うところの「唯音の外形の一致によって語原説を樹てるといふことが危険であり」の一例になるんだけれどもウォーターの語原としては

waterの語源は古い印欧語(インド・ヨーロッパ語)から由来していて
awed → wedor → woeter → waterとなっていったようです。

英単語の語源を子供に聞かれたら便利なサイト | 子どもの英語
とある。これが定説なのだろう。


ただ、先に「bAdara=シルク」の意味を調べたサンスクリット語の辞書では、その真下に「bAdara」の意味として「水」がある。
Sanskrit Dictionary for Spoken Sanskrit
すなわちサンスクリット語で「bAdara」の意味は「シルク」であり、また「水」でもある。なお「ベリー(果実)」の意味もある。


「berry or fruit of the cotton shrub」とは「コットンの灌木のベリーまたはフルーツ」という意味だろうか?要はワタの種ということだろう。「berry of Rosary Pea or the plant」は「トウアズキまたは植物のベリー」、「itself [ Abrus precatorius - Bot. ]は「トウアズキそのもの」。「edible fruit of the jujube」は「ナツメの食用の果物」、「jujube」は「ナツメ」。


なぜ「シルク」と「水」(と果実)が同じbAdaraなのかはわからない。しかし「綿(わた)」と「海(わた)」そして「秦(ハタ・ハダ)」には強い繋がりがあるのではないか?という疑問を持つことは許されるのではないか?このことを解説したものはネット上には無いようだけれど、どうして無いのか不思議ですらある。


(追記7/24 19:30)
「渡(わたる)」の語原も「海(わた)」だとする説があるようだ。確かにサンズイだし水の上を移動するのが「ワタる」なのかもしれない。『人物草書 秦河勝』に、「秦=海(ワタ)」説について

ただ。これを拡大解釈すると、すべての渡来系氏族は海を渡ってやってきており、秦氏のみが海を意識した氏族名を名乗るということについては今ひとつ理解できない。

とあるように「渡」もまた同じ壁にぶち当たる。とはいえ、我々には不明な特別な理由があったのかもしれない。なお北海道に「渡党」という集団がいたことは良く知られる。
渡党 - Wikipedia
「和人が蝦夷地へ渡った一党」と考えられているけれど「海の民」という意味もあるのかもしれないなんて思ったりして。