徐福伝説と八幡

八幡の由来 - 国家鮟鱇
この記事に「ようかん」さんという人が

八幡は やばたとも読みますよね?

というコメントをしていただいたんだけれど、それを見てまたトンデモなことを思いついてしまった。


前読んだ古代道路についての本に九州の古代道路のことが書いてあった。肥前国丁跡から佐賀県中原あたりまでの直線道路があり、途中で折れ曲がって大宰府に到る云々。道路の痕跡が今でも空中からはっきり見えるとか。詳細は忘れてしまったがそんな話。


気になったので、当時Google マップに直線を引いてみたのが残っていた。

より大きな地図で 西海道 を表示


驚くべきことにこの古代道路を延長すると宇佐八幡宮に達するのである。
(なお本に載ってた地図では道路の厳密な位置がわからないので直線は肥前国丁跡と宇佐八幡宮をつないだもの。ぴったりなのはそのため。しかし、ほぼ合ってると思う)。


そしてこの古代道路の道路脇には金立神社下宮吉野ヶ里遺跡がある。


金立神社下宮の祭神は保食神・罔象売女命そして徐福だ。
金立神社下宮


吉野ヶ里遺跡も徐福との関係が指摘されている(どこまで根拠があるのかは知らないけれど)
徐福 吉野ヶ里 - Google 検索


金立神社下宮と吉野ヶ里遺跡の側を通る古代道路が延長すると宇佐八幡宮に到達するというのは非常に興味深いことではなかろうか?「八幡」は秦氏とのつながりが指摘されており、その秦氏は一説では徐福の子孫と伝えられているのだ。


ところで吉野ヶ里遺跡の調査が今月で終了したのだそうな
吉野ケ里の発掘調査終わる 26年、邪馬台国説で沸く - 中国新聞
この記事で知った。
吉野ヶ里には徐福が眠る? 吉野ヶ里遺跡の調査終了 - 恵美と嘉樹の歴史ニュース&BOOKウォーキング
この記事でも徐福について触れられている。


まあ、徐福一行云々は信じがたい話だけれど、中国から渡来した人達が徐福を祭ったという可能性は無くも無いようには思う。


(ちなみに俺は邪馬台国畿内説を支持してる)


(20:30 追記)
元地図を見てかなり正確に作ったつもりなんだけれど
佐賀平野に残る、西海道肥前路の古代直線道路跡 - 観光系輸入車整備日誌 - Yahoo!ブログ
見ると結構ズレてるみたい。自信なくなってきた(元から不安だったんだけど)。