「太陽の道」という不幸

日本のレイラインとして最も有名なものは「太陽の道」だ。北緯34度32分の直線上に伊勢斎宮跡、三輪山箸墓古墳等、日本古代の聖地が並んでいるという。この「発見」は大いに話題になり、現在でもネットを検索すれば多くの記事がヒットする。
『太陽の道?(no,1)』


この説が唱えられたのが1973年のことで、当時のことを俺はよく知らないが、歴史学者もこの「発見」に興味を示したと聞く。だが、やがて失望へと変わっていく。実際には「太陽の道」は直線というにはあまりにも誤差がありすぎるからだ。


また、京都大学名誉教授の岸俊男氏が、藤原京の中軸線上に天武・持統合葬陵があることを指摘したことをきっかけとして、終末期古墳が直線上に並んでいるという「聖なるライン」が話題になったこともあった。
特集 高松塚光源


だが、こちらも実際は一直線上に並んでいるとは到底言えない代物であった。現在ではまともに取り上げられていない(ただし、大学教授の唱えた説がきっかけだったせいか、現在でも一部の学者は研究している模様)。


現在「太陽の道」に興味を示しているのは在野の研究者やスピリチュアリストばかりであり、歴史学者は無視している。それだけではなく、レイラインそのものを胡散臭いものとして忌避している(胡散臭いものが大半であるのは事実だが)。※歴史地理学界で寺社の配置を研究している人がいないことはないが。


確かに、本場イギリスの「レイライン」も怪しげな要素が含まれている。だが聖地を直線で結ぶという考え方自体はそれほどオカルト的なものだとは思えない。それに、ナスカの地上絵等、古代の直線路は現実に存在する。日本の「中つ道」「上つ道」なども明らかに方位信仰に基づくものだ。何より平安京平城京等の朱雀大路がある。朱雀大路が南北の直線になっているのは「偶然だ」などと言う者はいないだろう。


これらが実在すると認められているのは、実際に遺跡が存在するからであるのは当然だが、遺跡の存在しない「観念」としての道が存在したとしても不思議ではない。その道は神や霊魂の通う道であるから、建築物としての道を造らなくても、それらが通ることは可能なのだ。


レイレインを否定する論拠の一つとして、日本やイギリスのような歴史のあるところでは、地図上に適当に直線を引いても、レイラインが出来てしまうというものがある。それは確かにそうだろう。しかし、それだと朱雀大路も「偶然」ということになってしまう。また、ライン上に存在する聖地が何でも良いというわけではなく、それらの間に何らかの関係があるものに限定すればレイラインの出来る確率は劇的に縮小するであろう。


また、世間では誤差が数キロもあるのに直線上に並んでいるなんて主張しているものがあり、それらを否定することにやぶさかではない。せいぜい数十キロの直線で誤差500メートル程度を目安にすべきだろう(もっと絞るべきかもしれないが)。実際にやってみればわかるが、誤差の範囲を絞れば、関係のある聖地と聖地の間に引いた場合、直線上に外の聖地は意外なほど少ないのだ(前の記事に書いた宇佐神宮神功皇后陵を結んだ直線でも、直線上に一致するのは関連した聖地であり、あまり関係のない聖地はあっても直線からずれたところにある)。


誤差の範囲を絞り、なおかつ明らかに関連する聖地に絞った場合、聖地が複数並んでいる確率というのはどれくらいあるのだろうか。それを計算するのは非常に困難だろう。