蓬莱宮のかんてん(その3)
次に長宗我部元親と「蓬莱」の関係。
長宗我部氏の祖は秦氏だとされている。
長宗我部氏の出自には諸説あるが、秦氏祖先説が通説である[2]。その他には、蘇我氏の子孫とする説などがある。
秦氏祖先説
秦氏は中国秦王朝の始皇帝の流れを称する古代氏族であり[3]、飛鳥時代に秦氏の繁栄を築いた秦河勝の後裔が長宗我部氏であるとされている[4]。
「蓬莱」といえば徐福だ。
⇒徐福 - Wikipedia
徐福が目指した「蓬莱山」とは日本のことであり、秦氏は徐福の子孫だという伝説がある。
ところで『土佐物語』によると長宗我部元親の法号は「雪渓惣三」である。「惣三」は元親自身が付けた法諱で、「雪渓」は天竜寺の策彦が付けた雅号だという。
(なお策彦は信長との交流でも知られている)
⇒策彦周良
ウィキペディアには「雪渓如三大居士」「雪蹊恕三大禅定門」とある。四国八十八箇所33番高福山雪渓寺は元は少林山高福寺と称したが、元親死後に菩提寺となったので雪渓寺になったのだそうだ。
この「雪渓」の由来が蓬莱なのだ。より正確に言えば、徐福伝説によれば徐福一行は熊野三山に登った。富士山を日本の蓬莱と言う。三峯は一年中雪がある(?)ということらしい。漢文なので読解困難。
雪渓(せっけい)とは、高山など標高の高い場所の谷や沢の積雪が溶けずに残った地帯。または積雪で覆われた渓谷。
そしてこれが「鳥無き島の蝙蝠」「蓬莱宮のかんてん」というやりとりがあったのと同じ天正三年のことなのだ。
結局それと「蓬莱宮のかんてん」に何の関係があるのかといえば、さっぱりわからないわけだが、全く無関係というわけでもないだろうとは思うのであった。