源頼朝と海

日本の5大港といえば、一般的には東京、横浜、名古屋、大阪、神戸。


そのうちの一つの神戸港の基礎を作ったのは今年の大河ドラマの主人公平清盛大輪田泊を修築して福原に遷都して云々。


それはいいとして、ライバルの源頼朝はそういうことに関心がなかったのかといえばそうでもないでしょう。


横浜港の歴史は幕末にペリーが来航して開港を要求して、当時寒村だった横浜村が云々とよく言われていて、それは事実だけれど、それは東海道に直結する神奈川宿・神奈川湊を避け対岸の横浜村に開港場を新設したのであって、神奈川湊の発展に寄与したのが鎌倉幕府

横浜港 - Wikipedia
神奈川宿 - Wikipedia


ところで、昨日の大河ドラマを見て思ったんだけれど、頼朝の母は熱田大宮司藤原季範の娘。録画してるわけじゃないんで勘違いかもだけれど、昨日のドラマで源義朝が盗賊(清盛の海賊退治に対する山賊退治という対比か?)に襲われる農民を助けた場面で熱田というテロップが出てたように思うんだが、その場所が木が生い茂っていかにも山道風だった。そして熱田神宮で季範と会話している場面では外でカエルが鳴いていていかにも農村の中にあるっぽい感じがした。


だけど現在の熱田神宮であっても隣は名古屋市港区で海からそんなに離れているわけではなく、近くには「七里の渡し」という観光名所がある。
七里の渡し - Wikipedia


ましてや昔は熱田神宮のすぐ近くまで海が迫っていたのだ。

古代・中世 - 熱田神宮が開かれ、門前町が海運の要衝として栄える。

名古屋市


ちなみに、

宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていたが、平安時代後期に尾張員職の外孫で藤原南家藤原季範にその職が譲られた。以降は子孫の藤原氏・千秋氏が大宮司尾張氏権宮司を務める。なお、この季範の娘は源頼朝の母である。

とあり、頼朝の祖父の藤原季範の母の実家は尾張氏で季範の代から大宮司職は藤原氏世襲となった。尾張氏は海部氏の同族。


また、前にも書いたけれど熱田の地は「蓬莱」「蓬莱島」と呼ばれており、これは徐福伝説によるもの。徐福一行がこの地に渡ってきたということだろう。


というわけで伊勢平氏平清盛と海との関係はよく取り上げられているけれど、源頼朝だって海と深い繋がりがあるのであった。


※なお藤原季範の養女(実孫)が源義康に嫁いで子孫が足利氏になる。