穢れた疫鬼の住処

川尻秋生氏の『平安京遷都』にこう書いてあるらしい。

 また、ケガレの成立には対外関係観も影響していた。第二章で述べたように『貞観儀式』の追儺(ついな)*1の項では、東は陸奥国より外、西は遠値嘉(おちかの)島より外、南は土佐国より外、北は佐渡国より外の地は、穢れた疫鬼の住処であると述べている。こうした観念の発生には、九世紀以降、新羅との関係が悪化したことにともなって(第二章)、天皇の支配地以外はケガレに満ちた世界であるとの認識が広まったことが関係する。

ケガレについて - heuristic ways


検索してみたところ『貞観儀式』には、

「穢(きたな)く悪(あし)き疫鬼の、所所村村に蔵(かく)り隠ふるをば、千里の外、四方の堺、東方は陸奥、西方は遠値嘉(おちか、五島列島)、南方は土佐、北方は佐渡より遠(おち)の所を、汝たち疫鬼の住処(すみか)と定め賜い、行い賜いて」

黙翁日録
とある。


要するに「鬼は外」ということで、疫鬼は日本の外に出て行けということですね。
追儺 - Wikipedia


疫鬼を討伐するのではなくて外に追い出すだけだから、追い出された鬼が来られた方はたまったものじゃありませんね。しかし「地球市民」などという言葉もなかった時代のこと。「ウチが平和ならそれでよし」という考えを持つのも自然なことでしょう。


さて、「穢れた疫鬼の住処」というのはどういう意味かと考えるに、その土地が「ケガレに満ちた世界」だから疫鬼がいるのだと考えた場合、元々疫鬼がいたのは「所所村村」であり、つまり「天皇の支配地」が「ケガレに満ちた世界」だということになってしまうのではないでしょうか。


「疫鬼の住処」を日本の外に定めたのは、そこが日本ではないからであり、日本の外に住む分にはその土地がどうなろうと知ったことじゃないということでしょう。少なくとも『貞観儀式』においては、別に日本の外が「疫鬼の住処」として相応しい穢れた土地だとしているわけではなく、単に日本から出て行けという意味であろうと思われます。


もちろん疫鬼がそこに住むことになったら、その土地は「ケガレに満ちた世界」になるだろうから「天皇の支配地以外はケガレに満ちた世界」ということになるかもしれないけれど、「天皇の支配地以外はケガレに満ちた世界」と『貞観儀式』の追儺の項を川尻氏みたいに単純に結び付けちゃっていいものだろうかという疑問がなきにしもあらず。


ま、よくわかんないんだけども。