大河『平清盛』における「百姓」

ドラマの中に「百姓」という言葉が頻繁に出てきて、これが何を意味しているのかがよくわからない。


百姓の本来の意味は「姓(かばね)を持つ公民」のことだったのが、後に農民と同義になったというのは良く知られた話。ドラマの台詞では、これも録画しているわけではないので記憶が曖昧なんだけれど「漁師や百姓」と言っていたように思う。


「百姓=農民」ではないというのは常識とまでは言わないまでも網野善彦によって唱えられているというのは割と知られた話であるのに、それにあえて逆らっているのは、そこに何らかの思惑があるのではないかと疑いたくもなる。


ウィキペディアを見ると、

百姓を農民の意味とした初見は、現在のところ9世紀末に編纂された『三代実録』である。

百姓 - Wikipedia


これを根拠に網野史観に反発しているのだろうか?


(なお『三代実録』に具体的にどう書いてあるのか検索してみたけれど、言及しているものはみな一様にウィキペディアと同文であった。要確認)


「王家」問題で、当時は「皇室」という言葉はなかった云々とかいう話があったけれど、こっちも時代考証的に考えられた末に使用することになったのだろうか?


ちなみに「百姓」は当時「ひゃくせい」と呼んでいたと思われるが、なぜ「ひゃくしょう」なのか?

日本の中世以降の用例には呉音の「ひゃくしょう」の読みを当てるのが慣例である。

とあるから、平安後期ならOKということなのか、現代の読みにしたということなのかも謎。


「漁師や百姓」というのが「漁師や農民」という意味ではなくて「漁師とそれ以外の民」という意味の可能性もあるが、その場合はなぜ分ける必要があるのかという謎が生じる。


「百姓」は放送禁止用語だなどと言われることがある。それは実際こうして使われているのだから間違いなんだろうけれど、それでも通常は別の言葉に言い換えられており、「百姓」という言葉をあえて使ったのには、この言葉を使用したいという特別な意思があるように思われる。しかし、それが何なのかが理解不能