「左翼」の対極的二義性を語るのは論理レス?

ある人々にとって、「左翼」とは個人の自主性、独立性を全面否定するソビエトロシア的集団主義による個人の抑圧を「平等」という美名のもとに遂行する悪の教義であり、他の人々にとって、「左翼」とは社会の麗しき秩序を破壊するエゴイズムを個人の自由という美名のもとに振り回すトンでもない連中。

このいずれも政治思想的に存立可能な議論ではあるが、両者を同時に主張することは論理的に矛盾することは言うまでもない。

実際、個々の人レベルで言えばこの両者を同時に主張するような論理レスな人はあまり見ないが(とはいえ、たまにいるけど)、マスメディアレベルでは(たとえば産経の「正論」とか)あまり矛盾感覚なしに入れ替わり出現したりする。

「左翼」の対極的二義性再論: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)


「論理レス」と言われるけれど…

バークの考えでは、ニヒリズムというフランス革命に固有の形態の様々な効果のうちのひとつは、人間を脱社会化する効果、伝統的な社会的きずなを破壊することによって国民を原子化する効果であった。こうしてバークによれば、フランス革命は「下位集団のきずなを分断し、それを原初の断片からなる非社会的で非市民的でばらばらの混沌に〔解体した〕」のである。彼は別の箇所で、革命政府は「あらゆる種類の市民をできるかぎりひとつの同質的かたまりに練りあげようとし、その上でこの混合物を多数のばらばらの共和国に分割した」と書いている。


ごつごつした岩石を一つにまとめようとしても上手くいかないけれど、粉々に砕けば一つにまとめるのも、再加工するのも容易になってしまうみたいな話。論理的に矛盾なんてしてないです。


(産経の「正論」的主張はそういうのじゃないだろうとは思うけれど)