大混乱3

選挙 - おおやにき

その選挙の話。選挙公報程度は見ているのですが一番楽しかったのは日本共産党の候補者のもので、「政党が離合集散のなか1世紀近い歴史に試された党」とか自慢しているのだが伝統を誇る革新政党ってなんだ。科学的社会主義(理性的・科学的にぼくたちの言っていることは正しいんだよ)なんだからバーク流の時効理論(人間理性には限界があるので歴史の試練に耐えて生き残ったものを正しいと思うしかないよ)とか掲げてちゃダメだろう。

まあ革新陣営の伝統芸能化というか、守旧を掲げる「革新」と変革を呼号する「保守」という日本政治のねじれ現象を体現しているようで非常に興味深く拝見いたしました。はい。


まあ「政党が離合集散のなか1世紀近い歴史に試された党」というのが「保守」思想に基づくものかっていうと微妙な感じがしないでもない。というのも「適者生存」って考え方があるから。
適者生存 - Wikipedia

社会進化論はスペンサーの自由主義的なものから変質し、適者生存・優勝劣敗という発想から強者の論理となり、帝国主義国による侵略や植民地化を正当化する論理になったとされる。 その一方で、共産主義もまた社会進化論パラダイムに則っていた。現にカール・マルクスダーウィンに進化論が唯物史観の着想に寄与したとして資本論の第一巻を献本している。マルクスは、あくまで社会進化論が資本主義の存続を唱う点と一線を画し、資本主義自体が淘汰されると説いた。

社会進化論 - Wikipedia


あと、大屋先生の

バーク流の時効理論(人間理性には限界があるので歴史の試練に耐えて生き残ったものを正しいと思うしかないよ)

というのもちょっと誤解を招く説明で、保守には絶対的に正しいものはないから、あくまでその「正しい」は、その時代・地域にとっての「正しい」であって永久に続くものではない。上の説明だと歴史に磨かれて「絶対的な正さ」が洗練されていくように誤解されるかもしれない。


保守と革新の対立は「伝統によるか理性によるか」ということだ。だけどこの「伝統」とは何かということで既に誤解が生じている。保守が重視する「伝統」とは「理性」に対立するものとしての「伝統」ということであって、明治時代に戻ろうとか江戸時代、あるいは古代に戻ろうとかいう話ではない。


保守主義がいう「伝統」とは今を生きる我々が持っている「理性」によらざる常識的な感覚だ。それは歴史が作り上げてきたものであり、我々が常識だと思っていることが、よその地域では常識でなかったりする、そういった普遍的・絶対的ではない地域的・相対的なものだ(もちろん人殺しをしてはいけないとか、物を盗んではいけないなどといったことは世界で通用する常識だが、理性ではなく歴史が作り上げた常識であり、またそれが常識でない社会も可能性としてはありえるはずだ)。


したがって「保守」は新しいものを受け入れないというわけでもないし、変革を嫌うというものでもない。「常識」から見て受け入れても良いというものなら受け入れる。否定するのは「新しいもの」ではなくて「理性的・科学的に正しいから受け入れなくてはならない」という理性主義者の主張である。



以上のことを鑑みて
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のコメントを見ると「保守」がいかに理解されていないかがわかるというものである。