「反知性主義」とは何か?

朝日新聞によると 「反知性主義」という言葉を使った評論が論壇で目につく。そうだ。


だが、この「反知性主義」という言葉の定義がはっきりしない。ということは2008年に書いた。
反知性主義とは- - 国家鮟鱇


ウィキペディアによれば、

反知性主義(英語: Anti-intellectualism)は、本来は知識や知識人に対する敵意であるが、そこから転じて国家権力によって意図的に国民が無知蒙昧となるように仕向ける政策のことである。主に独裁国家で行われる愚民政策の一種。

反知性主義 - Wikipedia
と説明されている。


「知識や知識人に対する敵意」のことだそうだが、「知識や知識人に対する敵意」の理由については問わないということだろうか。具体例として示されているものを見ても、その理由は大きく異なる。ただし、古代の例はともかく近代以降の例は革新思想に基づくものと保守思想に基づくものに分かれる。つまり正反対の理由によるものである。


革新思想においては理性至上主義の傾向がある。この場合の理性とは唯一絶対の真実が存在するというものであり、つまり正しい思考をするならば誰が考えて行き着く先は同じだということ。だとするならば知的エリートが思考して結論を導きだせば、それは誰にとっても正しい結論であるから、それ以外の人はそれに黙って従えばよいということになる。そうすれば、なまじ中途半端な知性の持ち主が思考して誤った結論を導きだして革命を妨害する危険を回避できるし、余計な手間がかからないので効率的だ。共産主義政府が採択した「民主集中制」というのはそういうものでしょう。
民主集中制 - Wikipedia


なお、以前に書いたように、一見するとこういう考え方とは正反対にみえる「自分の頭で考える」というのも革新な人達が好む言葉である。しかしながら彼らの考えでは「自分の頭で考える」と多様な結論が導きだされるのではなくて、唯一絶対の正しい答えが導きだされることになっているので、そうならない場合はまだ余計なものに邪魔されて「自分の頭で考える」状態になっていないということになるので、さらなる思考を唯一絶対の答えにたどり着くまで強いられることになるのである。
個人主義が全体主義とつながっていることの実例 - 国家鮟鱇
この事件の根底にあるのもそういう思想でしょう。
山岳ベース事件 - Wikipedia



一方、保守の場合は、これとは違う意味で「反知性主義」である。革新が理性至上主義的傾向があるのに対して、理性の限界を認識しているから、理性にだけ頼るのではなく伝統や慣習を重視するのである。


というわけで全く正反対の考え方が同じ「反知性主義」とされているのである。だが、それだけでなく、ネット上を見るだけでもこれ以外の意味での「反知性主義」の使用法があるのは間違いない


よって、誰かが「反知性主義」と言っている場合それはどういう意味で使われているのかを用心深く判断しなければならない。だが、そんなことを誰もがするとは到底思えない。結局のところ「反知性主義」という言葉を見たときに、読者が自身で定義する「反知性主義」をそこに当てはめるというのが常態化するだろう。


そうなれば気に食わない人物に対して「反知性主義」というレッテルを貼れば、その意味するところが何であろうと「あいつは反知性主義」だということで意見の食い違いを無視してその人物に反感を抱いている人達が連帯することができる便利な言葉として多様されることになるだろう。