佐藤優と「反知性主義」

昨日取り上げた
内田樹は「反知性主義」的か? - Togetterまとめ
だけど、これは朝日新聞
「反知性主義」への警鐘 相次ぐ政治的問題発言で議論:朝日新聞デジタル
に対する反応。で、元記事を読んで内田先生に対する感想を書こうと思ったんだけれど、その前に佐藤優氏の「反知性主義」発言があるからそれについて。


佐藤優氏による「反知性主義」とは

 「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」だと佐藤氏は述べる。新しい知見や他者との関係性を直視しながら自身と世界を見直していく作業を拒み、「自分に都合のよい物語」の中に閉じこもる姿勢だ。とりわけ問題になるのは、その物語を使う者がときに「他者へ何らかの行動を強要する」からだという。

だという。先のウィキペディアの説明にそんな定義はないし、膨らませてもこんな定義にはならないだろう。つまり全く別の定義。


そもそも「反知性主義」という言葉からこんな定義を連想できる人はいるのだろうか?佐藤優氏の定義を知らなければわかりようがないのではないか?


反知性主義」という言葉は佐藤優氏が発明したのではなく既にある言葉だ。それにこんな定義付けするのは、まさに『「自分に都合のよい物語」の中に閉じこもる姿勢』ではなかろうか?


なお、その「反知性主義」の例として、麻生氏のナチス発言を取り上げている。佐藤氏は麻生氏がナチスを擁護したとは考えていないように思われるが「麻生氏も政権も謝罪や丁寧な説明は必要ないと考えた」のが「反知性主義」だという。


そこで気になったのが「主義」という言葉だ。「主義」とは「常にいだいている主張・考えや行動の指針(大辞林)」のことではないのか?俺も麻生氏の発言には麻生氏の側にも「誤解」を招いた責任があると思っているから、謝罪はともかくもっと丁寧に説明をすべきだったと考えるけれど、それをしなかったのは果たして「主義」によるものだろうか?


と疑問に思って再び「定義」を見ると「姿勢」とある。「姿勢」とは「物事に対する構え。態度。(大辞林)」である。「主義」と「姿勢」じゃちょっと違うような感じがするのだが。