淀君は聖なる女性(その4)

淀君蔑称説を否定しているというので、『淀殿』(福田千鶴 ミネルヴァ書房)を図書館で借りて読んでいるのだが、その中に俺の目を釘付けにするものがあった。

茶々を秀吉の「側室」「妾」とみなす史料については、寛政三年(一七九一)に成立し、京都の文人神沢杜口が著した随筆「翁草」がある。


秀吉公の側室淀殿、諱は於野野(一本オチャヽ) 

(中略)

ここでは茶々の諱名を「於野野」とする誤りがすでにみられるが、「側室淀殿」と明記されている。
(p5-6)

淀殿の諱が「於野野」だと書いてあるのだ。「於野野」は何と読むのだろう?「おやや」なのかもしれない。


だが「おのの」だったら、それは「小野小町」の「おのの」のことなんじゃないのか?なんて思うのだ。