2009-03-31から1日間の記事一覧

淀君は聖なる女性(その4)

淀君蔑称説を否定しているというので、『淀殿』(福田千鶴 ミネルヴァ書房)を図書館で借りて読んでいるのだが、その中に俺の目を釘付けにするものがあった。 茶々を秀吉の「側室」「妾」とみなす史料については、寛政三年(一七九一)に成立し、京都の文人…

淀君は聖なる女性(その3)

淀殿の父方の祖母は小野殿という。 小野殿(おのどの (大永7年(1527年)? − 天正元年(1573年))は、戦国時代の女性。近江国の戦国大名浅井久政の正室。浅井長政の母。また京極マリア(京極高吉室)も彼女の娘とされる。名は阿古と言い、「阿古御料」と…

淀君は聖なる女性(その2)

秀頼は豊臣秀吉の実子か?ということは、ネットの掲示板等でもよく取り上げられる話題。だが歴史学者はこれを否定する。しかし、俺には、その否定の言説が説得力のあるものだとは到底思えない。 「わからない」というのが妥当ではないのか?非実子説がそれほ…

淀君は聖なる女性(その1)

まだまだ書きたいことはいっぱいあるんだけれど、前に少し書いたように、近々ブログ休止する予定なんで、細かいことは省いて結論を書くと、俺が「淀君」の呼称に大きな関心を抱いている理由というのは、俺が、実のところ、 淀君は聖なる女性である 淀君には…

淀君は聖なる女性(おまけ)

淀殿の妹で、徳川秀忠の正室である於江与の方。 崇源院(すうげんいん、天正元年〔1573年〕- 寛永3年9月15日〔1626年11月3日〕)は、天正時代から江戸時代初期の女性。諱は江/小督(おごう)もしくは江与(えよ)とされるが、再婚時に改名した可能性もあり…

淀君は聖なる女性(その6)

小野小町が遊女であるという伝説がある。その小野小町の小野氏とは、 小野氏(おのうじ)は、7世紀前半から平安時代中期にかけて活躍した氏族。姓ははじめは臣であったが、八色の姓により朝臣に列せられた。孝昭天皇の皇子である天押帯日子命(あめのおした…

淀君は聖なる女性(その5)

小野於通という謎の女性がいる。 和歌・書画・糸竹(管弦)の技に秀で、淀君(ヨドギミ)や千姫に仕えた。 ⇒小野お通(全国名前辞典) 於通は『浄瑠璃十二段草子』を作ったと伝えられる女性(史実ではないというのが定説)で、これが浄瑠璃の名の元になったと言わ…