淀君は聖なる女性(その2)

秀頼は豊臣秀吉の実子か?ということは、ネットの掲示板等でもよく取り上げられる話題。だが歴史学者はこれを否定する。しかし、俺には、その否定の言説が説得力のあるものだとは到底思えない。


「わからない」というのが妥当ではないのか?非実子説がそれほど荒唐無稽だとは思えないのだ。なぜ学者が頑なにこれを否定するのか不可解なのだ。可能性を数値化するのは難しいが、感覚的には「実子6:非実子4」くらいの割合が妥当ではないか?その上で俺は「実子3:非実子7」の割合で秀頼は秀吉の実子ではないと考えている。


秀吉は長いこと子に恵まれなかった。長浜時代に「南殿」という女性との間に子があったという説があるが定かではない。仮にこれを認めたとしても子宝に恵まれなかったことは確かである。それなのに淀殿との間に二人の男子が生まれたというのは不自然だ。もちろん可能性としては有り得ることではある。だからこれで「実子6:非実子4」。


しかし、それだけではない。淀殿の妹である於江与は徳川秀忠に嫁ぎ家光を産んだのだ。豊臣家の跡継ぎと徳川家の跡継ぎを姉妹が産んだ。これも「偶然」としてあり得ないことではないが、上と総合すると「実子3:非実子7」くらいになったっておかしくないのである。なぜ、この姉妹が歴史に重要な役割を果たしたのか?ただの偶然と考えるのも結構だが、偶然ではないという仮定で考えてみても良いではないか。


そもそもなぜ淀殿は秀吉の側室となり、於江与は家康の正室となったのか?歴史小説やドラマでは織田氏の血が流れていること、母の「お市の方」が絶世の美女だったことが挙げられる。それらはもっともらしいし、そうだったのかもしれない。信長には兄弟が大勢いたから、織田氏の女性は彼女の系統だけというわけではない。秀吉の側室には信長の娘「三の丸殿」、信長の弟信包の娘「姫路殿」がいた。その中で淀殿が後継者を産んだのは、「実子説」に基づけば偶然ということになる。しかし「秀吉公認の非実子説」を取れば、秀吉は淀殿を後継者の母に選んだということになる。「お市の方」が本当に美人だったのかは、今となってはわからない。ただし、「お市の方」は悲劇の女性であり、娘の淀殿も悲劇の女性であることは頭に入れておいてもいいだろう。悲劇の女性であるゆえに美人と呼ばれているのかもしれない。


あくまで仮定の話だが、もし淀殿が後継者を産んだのが偶然ではなく、そして不倫でもなく、秀吉公認のものだと考えた場合、それはなぜかといえば、当然、母である「お市の方」に注目する必要がある。お市の方織田氏の女性であるにしても、それだけでは不十分なのは、上に書いたように他にも織田氏の女性がいるからだ。その場合、彼女が織田氏の女性であるというだけではなく、彼女自身が特別な女性であった可能性がある。


俺が注目するのは「お市の方」という名前。「市」は「市場」の「市」ではないのか。

人々が市を立てた場所はみな、人間の力を超えた聖なる世界と世俗の人間の世界との境であったと見てよいと思います。
(『歴史を考えるヒント』網野善彦 新潮選書)

現代のわれわれが、職人の見事な腕前に「神技」を感ずるのと同様、このころの人々はそれ以上に、職能民の駆使する技術、その演ずる芸能、さらには呪術に、人ならぬものの力を見出し、職能民自身、自らの「芸能」の背後に神仏の力を感じとっていたに相違ない。それはまさしく、「聖」と「俗」との境界に働く力であり、自然の底知れぬ力を人間の社会に導き入れる懸け橋であった。
(『中世の非人と遊女』網野善彦 講談社

俺は「お市の方」は巫女的属性を持った女性じゃなかったかと思うんですよね。まあ、これだけだと論として弱いけれど。