秀頼非実子説と六本指の秀吉

豊臣秀頼が秀吉の実子ではないという説が最近話題になっている。
【2ch】歴史的大敗 : 【日本中世史】 「秀頼は豊臣秀吉の実の子ではない」 九州大教授が提唱 誕生日から逆算 新解釈も
服部英雄のホームページ


秀頼非実子説については前に書いた。
淀君は聖なる女性(その2) - 国家鮟鱇


秀頼が秀吉の子で無い可能性は十分にある


そう考えるのが常識的な考えというものだろう。ところが、非実子説を頑なに否定する歴史学者がいる。むしろそっちの方がおかしいのだ。


秀頼が人工授精で生まれたとかいうのなら、そんなことはありえないと断言していいだろう。厳密にいえば100%ありえないということは不可能だが、限りなくありえないことだ。だが非実子説が真である可能性はそんなに低いものじゃない。



とはいえ、逆に秀頼が秀吉の実子ではないと断言することもできない。要するに「わからない」ってことだ。


「わからない」ということを前提の上で「実子の可能性が高い」とか「実子でない可能性が高い」ということを論じるのなら良いだろう。「いやいやそんなことはみんなわかっている。お前は藁人形叩きをしているだけだ」と言われるかもしれない。確かに体裁としてはそうなっているかもしれない。しかし大勢は「実子説」であり、「非実子説」は「大野治長との不倫で出来たなどというのは荒唐無稽だ」などと一部を否定することで全てを否定するような論調を多くみかけるのである。


学者が「非実子説」を唱えることは、そうした風潮に一石を投じるものだという意味で意義があるものだろう。ただし、それが正常なのであって、今までが異常だったということだ。


服部氏の『河原ノ者・非人・秀吉』は人気があるようで、図書館も予約が多数あり、まだ読んでいないが、ネット情報を見る限りではそれほど目新しいことを言っているようにも思えない。既知のことや、常識的に考えれば思いつくようなものばかりだ。したがって、主張の中身によって研究が進むということはないように思う。しかし一石を投じたことによって「非実子説」を軽視する風潮に変化があるかもしれないとは思う。


(つづく)