服部英雄氏の『河原ノ者・非人・秀吉』は秀頼非実子説を学者が主張することによって一石を投じる可能性があるという点については評価できると思う。
ただし、俺はまだ本を読んでいない。読んでいないけれどアマゾンの書評を見ると、ツッコミどころの多い本なんじゃなかろうかとも思う。
⇒Amazon.co.jp: 河原ノ者・非人・秀吉: 服部 英雄: 本
特に「六本指だった秀吉」というところ。本のタイトルから予想されるように、服部氏は秀吉の出自が賤民だと考えているらしい。それについても俺は思うところがあるのだが、それはともかく、なぜそういう流れの中で秀吉の六本指が取り上げられるのかが謎である。六本指だから差別されたということだろうか?井沢元彦も『逆説の日本史』でそんなことを言っていた。
多指症というのはそれほど珍しくない。手では1000人に対して1〜2人いるそうだ。多くは幼時期に切除する。昔は紐で縛って腐らせて取ったそうだ。秀吉の場合はなぜか切除せず大人になっても六本指であった(という記録がある)。そういう意味では稀有な例かもしれないが、秀吉が差別されたという史料があるわけではない。秀吉以外で差別された例があるのかも俺は知らない。証拠も無いのに差別されていたと決め付けるのは危険だろう。その点について触れられているのかが気になるところ。
そもそも、形状異常といっても通常より多い場合と少ない場合がある。現代人はどちらも同じように考えるかもしれないが昔は違った。『和漢三才図会』を見ても明確に分けられている。少ない方は明らかに差別されていた。ある差別語の由来は一説にはまさに指に関係しているとされている。
江戸時代には秀吉は重瞳であったという伝説があった。重瞳とは「一つの眼玉に、瞳が二つある」ことだ。
⇒重瞳 - Wikipedia
明らかな異相であるが、王の権威付けのためか、特に古代中国の王には重瞳にかぎらず、常人とは異なった身体的特徴をしていることが多い。たとえば、文王は四乳といって乳首が四つあったというし、禹は三漏といって耳の穴が三つあったという伝承が残っている。
六本指とは違い、こちらはただの伝説だろうが「常人とは異なった身体的特徴」が必ず賤視されていたわけではないということを考慮に入れなければならない。