以前、子ども用の「歴史カレンダー」を見ていて吹き出したことがある。秀吉の誕生日を、天文五年(一五三六)の「元日」としているのである。
何が面白くて吹きだしたのか、笑いのツボがわからない。
別に秀吉が申年の元日に生まれだっていいではないか。各種の史料にそう書いてあり、長年そう伝えられていたのだから、それでいいではないか。藤田氏は天文六年二月六日説を採用しているけれど、それが正しいとは限らない。
今時、申年の元日に生まれたことをもって、何らかの神秘的な現象だと考える人は稀だろう。もし、いたとしたら、それは秀吉の本当の誕生日云々以前に他に教育すべきことがあるはずだ。
「伝説」とわりきってしまえばなんのことはない。
この手の言動をしばしば歴史研究者が発するのを目にするけれど、世の中は歴史学を中心に回っているわけではない。
むしろ、歴史研究者の偏狭な世界観が笑われる羽目になるかもしれない。
(ちなみに俺の知ってる人に本当の誕生日と公式の誕生日が数日違う人がいる。そういうことは一昔前には良くあることだったそうな。そして多分今でもある)
ところで、秀吉の誕生日は本当に天文六年二月六日だとして良いのだろうか?
(つづく)