今日、図書館で『秀吉神話をくつがえす』(藤田達生 講談社現代新書)借りてきた。
まだ、一部しか読んでないんだけど。
「秀吉神話をくつがえす」ってタイトルから、現在の通説を覆すのかと思ってたら、そうではなくて、どうやら「歴史小説や時代劇などを通じて再生産されている」神話をくつがえすということのようだ。
でも、そういうのなら既にいっぱいある学者の書いた秀吉の本読めばいいんじゃね?何をいまさらって思わなくもない。
俺なんかむしろ、そういった現在の学説が中途半端に反映されている「太閤記もの」よりも、『絵本太閤記』を忠実に再現した歴史ドラマをテレビでやってくれないかなって思ってるくらい。
大体、現代人は『太閤記』や『忠臣蔵』が本当はどんな話なのか、ほとんどの人は知らない(実は俺も良くは知らない)。秀吉が日輪の子だなんて話は、それほど一般に知られているとは思えない。
『古事記』や『日本書紀』ですら知らない。知っているのはそれらの話が「史実と異なる」ということだ。具体的にどこがどう「異なる」のかはわからないけれど、現代人はそれらの話が「史実と異なる」ということだけは、事あるごとに繰り返し繰り返し刷り込まれているのだ。そういうことを教えるのが「正しい歴史教育」として、特に戦後は著しいのである。
その上で、「あれは本当はこういう話だ」みたいなのが、小説家や文化人等、さらに学者によって、一般に流布しているのだ。
結局のところ、「秀吉神話」なるものは、昔あった「神話」が今も「生きつづけている」のではなくて、現在進行形で次から次へと作り出されているものなのだ。
「秀吉神話をくつがえす」といっている人が、新たな「神話」を作り出す張本人であるかもしれないという認識は持っておいたほうがいいと思いますね。