なぜ珍説がまかり通るのか

ここのところずっと淀殿のことばっかり書いている。おかげさまでアクセス数はどんどん減っている。つい最近、ホットエントリーする記事が続いたので(それほど多いというわけではないが)アクセス増えていたんだけれど、元に戻ってしまいました。


ま、それはいいんだけど。何でずっと淀殿について書いてるかっていえば、もちろん淀殿に強い関心があるからで、本当に言いたいことは実はまだ書いてなかったりするんだけれど、それはそれとして、前に書いたように、日本史研究には陰謀論が実に多いってことで、それは別に淀殿に限ったことじゃないんで、一例として彼女を取り上げたってこともあるんで、ネタとしては、聖徳太子の件とか、日本神話の件とか、その他いくらでもある。


で、淀殿の件に戻れば、「淀君」が江戸時代に蔑称だったという説について、ウィキペディア

ただし、幕末に編纂された「徳川幕府家譜」で徳川家康の継室朝日姫が「朝日君」、秀忠の継室崇源院が「於江与君」とされているので、「君」が蔑称だとする説は成り立たない[10]。

とあるのは、その通りだと思うわけ。ただし、俺はウィキペディアを読んで初めて知って、有力な証拠になると思うけれど、こういう証拠がなくたって、蔑称説はおかしい、少なくともそれほど確かな説ではないと普通に思うんですよね。それなのに、初出が1997年だとしたら10年以上もこの説がまかり通ってきた。だけでなく、まだこの説が消えたわけではないどころか今でも主流の説になっているんですね。


「何で?」って疑問に思いますよね。それはそれ自体で興味深いですよね。それに「徳川幕府家譜」にそういう記述があることを知っている人はたくさんいるだろうに、今まで指摘されなかったのはなぜ?とも思いますよね?


いろんな理由があると思う。俺が思いつくのは、まず、この説が学者によって唱えられたこと。小和田哲男氏が最初に唱えたらしいのだけれど、氏は一般向けの厖大な数の著書があり、またNHKなどの歴史番組で良く知られている。氏の説は受け入れられやすい土壌がある(俺は氏が唱えたというだけで胡散臭く思うけれど)。とはいえ、今のところ、これが論文で発表されたという情報は聞かない。学者が唱えた説ではあるけれども、学界の外で唱えられた説である可能性が高い。「学者が学界の外で発表した説」とういのは、擬似科学の問題で話題になることがあるけれど、それと通じるものがあるかもしれない。


学界の外の出来事だから、学界の中の人はあまり問題視しないってことがあるのかもしれない。ただし疑似科学で良く聞くのは、怪しげな科学に○○博士がお墨付きを与えたというようなもので、いわゆるビリーバーと言われる人はそれで信じちゃうけれど、割合でいえばそんなに多いわけじゃない。多くの人は反論できないまでも胡散臭く思うようなものばっかりで、学者はもちろん相手にしない。ところが、こっちは何人もの学者が同類の説を発表しているんですよね。そこが良くわからん。学者ではあるけれど、もっぱら学界の外で論じられていたということなんだろうか?その中には論文として発表されたものもあるようだけれど、そこで疑問は出されなかったのだろうか?不思議。


あとは、現代の学界は細分化されているってのもあるのかもしれない。実際のところ、淀殿が蔑視されていたかどうかなんて、一般の歴史ファンには関心が高くても、学界の中では関心が低い部類に入るのかもしれない。この問題に取り組んでいる学者は僅かしかいないので、自浄作用が効かないなんてことがあるのかもしれない。


他にも思い当たることはあるけれど略。