正論原理主義についてもう一回考える

では正論ではない論を吐くとは? - OAF


俺は結局『文藝春秋』本屋で立ち読みしただけなんだけれど、村上春樹氏の言う「正論原理主義」ってのは、イスラエルにはイスラエルの正論があり、パレスチナにはパレスチナの正論があり、その二つの正論の歩み寄りの困難さっていうより、イスラエル人はイスラエルの正論に基本的に賛成なのであり、逆らうつもりはないんだけれど、正論原理主義によってどんどん過激化してしまう。パレスチナも同じ。そうなるとどっちかが消滅するまで争いは終わらない。ってことなんだろうと思う。


オウムの場合もオウムの正論なんて、そもそも大多数の人間にとっちゃ正論でもなんでもない。でもオウム信者にとっては正論。で、オウムの正論は間違ってるから改めよって話じゃなくて、正論原理主義によってどんどん過激化してしまうということを言っているんだろうと思う。


内部の人が正論原理主義にどう向き合うのかって問題。「正論」はあくまで「正論」であって、それは正論じゃないって反論は、その時点で内部の人ではなくなり外部の人になってしまう。正論を認めた上で、正論原理主義に陥らないようにするにはどうしたらいいのかって問題。これは難問。難問だからこそ同じことが何度でも繰り返される。俺は個人的には正論原理主義に対抗するものは「空気」だろうと思うので、正論原理主義と空気を同列に扱う佐々木俊尚氏のような主張に同意できない。


本当難しい。