俺は素人の歴史好きで、10年くらい前までは井沢元彦すげーみたいに思ってて、歴史学界けしからんなんて思ったりもした黒歴史があったりするんだけれど、もちろん今ではそうではない。で、その間、アマチュアとプロの違いは何だみたいなこともよく考えていた。
そんでそういうことを考えている時によく目にしたのが「先行研究」ってこと。たとえば「逆説の日本史」で主張されている大国主怨霊説だとか、天智・天武非兄弟説なんかは、それ以前から唱えられていた説で、しかも既に学者による反論がなされていた(四は不吉な数字ではなかったとか、どの史料でも天智が兄になっているとか)。それでもそれを主張するのなら、反論を踏まえた上で新しい根拠を示さなければならない。それを別の場所で坂本太郎は史料絶対主義者だなどと悪いイメージを植えつけているんだからしょうもない。
研究の目的は突き詰めれば、新しい事実や解釈の発見である。それゆえ、研究の遂行者は、得られた研究成果が「新しい事実や解釈の発見」であることを証明するために、それが先行研究によってまだ解明されていないことも示す必要がある。また、自身の研究成果が新しい発見であることを他の研究者によって認めてもらうためには、学会や査読付き論文などにおいて研究成果を公表しなければならない。どんなに優れた研究成果が得られても、それが他の研究者によってすでに明らかにされていたとすれば、その研究は無価値である。
自分の「発見」が、既に誰かの手によって発表されていないかを探すなんて、とても大変なことで、それだけで相当な労力を要するんで、プロは大変だなと思う。
2年前、真の坂上田村麻呂の墓が発見されたという報道があったんだけれど、それを桐野作人氏が取り上げた記事。
⇒坂上田村麻呂の墓 - 膏肓記
73年に民間の郷土史研究の論文ですでに発表されていたことをもっと評価すべきという内容。それについてコメント欄にいろいろ書かれているんだけれど、在野の先行研究まで探すのは難しいということも書かれている。でも、事実はちゃんと先行研究を紹介していたようで、さすがだという話。
やっぱプロはすごいですね。もちろん学者だって人間だから見落とすことはあるだろう。俺が印象に残っているのは、今谷明氏の「室町の王権」に対して、田中義成氏の先行研究があるのだから紹介すべきというツッコミを松本清張が本人との対談でしていたこと。それがちゃんと本になっているというのは評価すべきだとは思う。学者の場合、実際しょうがない場合もあるだろうけれど、知らなかったからって開き直ることはできないんですよね。大変ですね。
って、何の話を俺はしているんだろう。謎。