勝者の歴史

昨日のつづき


よく「歴史は勝者によってつくられる」ってことが言われる。それはそうだとは思うんだけれど、一口にそう言っても、多種多様なものがあるわけでしょう。それをステレオタイプに、勝者を「正当化するため」とか「美化するため」とか、敗者を「貶めるため」とか決め付けるのはどうかと思うんですよね。


例えば、よく見かけるのが、江戸時代の文献に豊臣家のことが書いてあって、それについて疑念があると「豊臣を貶めるため」なんて書いてある。でも、本当にそうだろうかと思うことがしばしばある。そのことはよくよく考えてみるべきじゃないのだろうか?「貶めるため」っていうと、徳川が豊臣を滅ぼしたことを正当化するためとか、豊臣が評価されると徳川の権威を脅かすからだとか、徳川に媚を売るためだとか、そういうことを連想してしまう。そういうことも勿論あったとは思う。思うけれども、それだけじゃないだろうとも思う。


勝者は徳川であり、豊臣は敗者であるという歴史的事実がある。で、「勝者が勝者になったのには理由があり、敗者が敗者になったのには理由がある」と人が考えるのは不自然なことではない。そんなことは現代人でもやっている。すると、勝者の勝因を列挙し、敗者の敗因を列挙するのも不自然なことじゃない。それは敗者を貶めているように見えるかもしれないけれど、別に貶めるのが動機じゃないし、勝者に媚びるためにしているわけでもない。


これは結果がわかっている人の分析であり、分析が的を射ているとは限らない。後から考えるとあれが原因だったのじゃないかということで、同時代の人がそう思っていたとは限らないし、もし仮に勝者と敗者が入れ替わっていたら、その「勝因」や「敗因」とされたものは無視されていた可能性が高い。これも現代でもよくあること。だけどこんなことは「貶めるため」という動機がなくたって起り得ること。


そして、注意しなければならないのは、当時の歴史観には宗教的要素が大きいということ。敗者が敗者になった原因は、例えば仏教的な見方をすれば因果応報とか仏罰とかいうものだったりする。
因果応報(ウィキペディア)


因果応報といっても、いろいろある。前世の報いだというものは、現代では荒唐無稽なものに見える。でも、悪を行った報いといったようなものは、現代でもそれなりに通用する。ただし現実にはそういう傾向があるにしても、悪人が必ず報いを受けるとは限らないし、報いがたちまちくる場合もあれば、何十年か後にくる場合もある。そして上にも書いたように、これは結果を見た上での評価だ。だから敗者は報いを受けるようなことをしたのだということで、一体何をしたのだという形で、悪事を根掘り葉掘りあげつらわれることになるだろう。完全に善人の人なんて滅多にいないから探せば見つかるはずだ。また仏教的な見方をする人の関心は、あくまで仏教的なことなので政治や軍事については関心がないか、あってもやはり仏教的な見方になってしまうだろう。


あるいは、「天命」とか「天道」とかいわれるものがある。天が味方している間は何をやっても上手くいくが、天が見放せばたちまち没落する。で、天がなぜ見放したかということだけれど、それは「天のみぞ知る」という運命論的なものから、徳のある者に天は味方するっていうものまでいろいろあると思われる。前者は現代人には荒唐無稽なものに見えるだろうが、後者なら現在でも通用するだろう。


で、あまりにも荒唐無稽なものは、現代人には無視されるけれど、ある程度通用するものは、昔の人も現代人と同じ考えをもっていたのだと捉えられがち。ところが実際には宗教的要素が含まれているので、多少ズレがあるように見える。それがなぜかと考えるときに、宗教的要素を考慮せずに「貶めるため」とかいった「陰謀」があったかのように考えることもあるんじゃないかと思う。



それと、これはよくよく考えてほしいんだけれど、豊臣を貶めるといっても豊臣秀吉を貶めることについては、当時の人は余程慎重であったのじゃないかと俺は思う。なぜなら、秀吉を悪人だとか無能だとか、さんざん貶めると、じゃあその秀吉に従った家康は何なんだってことになってしまうから。だから、秀吉は優秀な人間であった。だけど惜しいことに少々問題があったという程度にしておかないと薮蛇になってしまう。安易に「貶めるため」って言ってる人はそこのところどう考えているの?って常々思っている。