「淀君」が蔑称だという珍説(追記その2)

まあ「淀君」という名称がイレギュラーだというのはその通りだろう。彼女は豊臣家の人間といっても、彼女は「浅井氏」であり、「藤原姓」で「豊臣姓」ではないと考えられるから、摂家の女性に与えられる「君号」というのも正確ではない(ここのところ無知なんでよくわからない。北政所は「豊臣吉子」だが、これは浅野氏が豊臣姓だったからか?於江与は徳川家の系図で秀吉の養女と書いてるのに藤原達子だという)。


しかし、「淀君」というのが蔑称だというのは、およそありえないことで、だったらどうして「君」なのかと考えれば、豊臣家という高貴な家の女性だからと考えるのが最も妥当ではないか?なお摂家で将軍に嫁いだ女性に君号が与えられるという意味ではない。摂家の女性に「君号」が与えられるという意味。九条幸家と豊臣完子 の娘は序君・通君という。その人物が高貴だとすることと、その人物の性格や行動を悪く言うこととは少なくとも日本における文学において並列してることは珍しいことではない。


ところで「淀君」という呼び名が遊女を連想させて貶めるためならば、それが効果を発揮するには受け取る方がそう理解する必要がある。それが20世紀の終わりに学者によって指摘されるまで、指摘されることが無かったというのは大いに不思議なことである。気付かれなければ意味がないではないか。これは「隠された暗号」なんですか?呪術なんですか?面白いことに小和田哲男氏の『戦国三姉妹 茶々・初・江の数奇な生涯』には、浅井長政の男子についての検証記事で、浅井氏の末裔の浅井国幹が記した「浅井系統一覧」というものが紹介されており、そこの「淀君」とある。普通に考えて「淀君」が蔑称だと気付いていたら浅井氏末裔がこうは書かないだろう。


あとこれは書き忘れてたけれど小谷野敦氏が

次に「淀君」は個人の呼び名であって、「遊君」「辻君」「辻子君」は普通名詞である。既にここからして成り立たない。

田中貴子に答える - 猫を償うに猫をもってせよ
と8年前に指摘している。全くその通りとしかいいようがない。