⇒お江、淀殿―覆される通説 戦国女性たちの素顔 実は、お江は気配り重視、現代的だった淀殿 :日本経済新聞
「淀君」という呼称が広く普及して一般に定着するのは、明治時代に坪内逍遥の戯曲『桐一葉』が上演された以降のことである。「淀君」の呼称については、悪女、淫婦というイメージとともに売春婦の呼称(「遊君」、「辻君」など)と結びつけて定着したと小和田哲男が主張し、田中貴子が追随した[12]。 ただし、幕末に編纂された「徳川幕府家譜」で徳川家康の継室朝日姫が「朝日君」、秀忠の継室崇源院が「於江与君」とされているなど、「君」がすぐさま蔑称だと断定するには一定の留保が必要である[13]。
⇒淀殿 - Wikipedia
と、「淀君」が蔑称だということに疑問符をつけた人。
これに関しては、大いに同意するけれど、『淀殿 われ太閤の妻となりて』は偽書疑惑のある『武功夜話』を安易に利用しているなど怪しげなところもかなりあった。
中身を見なけりゃ、どういう根拠で実子でないと言ってるのかわからないけど、事前の印象ではかなり怪しげ。
- 作者: 福田千鶴
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- 発売日: 2010/11
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⇒『江の生涯 徳川将軍家御台所の役割』の感想 その一(家光の誕生時期) かとりぶたを側に置き/ウェブリブログ
⇒『江の生涯』の感想 その二(東福門院和子の母代) かとりぶたを側に置き/ウェブリブログ
ここに感想が載ってたけれど、忠長の乳母の存在についてとか色々ツッコミが入れられていた。