ノブレス・オブリージュ

ノブレス・オブリージュまたはノーブレス・オブリージュ (フランス語:noblesse oblige) は「貴族の義務」あるいは「高貴な義務」のこと。一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。

ノブレス・オブリージュ – Wikipedia


一般的な用法ではないが、というか一般的でない用法ですらないかも知れないが、「知識のある者」にも、それを広く一般に公開する義務が伴うべきだと思う今日この頃。


エスが馬小屋で産まれていなかったなんて話は初耳だったので、昨日は本当にショックだった。知らなかったこともショックだが、そういう説明がほとんどなされていないということもショックだった。イエスが馬小屋で産まれたという記述が聖書に無いということを知っている人は、日本で多数派では無いにしても相当な数の人が知っているはずだ。一方、聖徳太子とイエスの伝記が類似しているという話も有名な話であり、一部のマニアだけが知っているような話ではない。そしてそれに関する議論も盛んに行われている。


それなのに、なぜこういう話が出てこないのだ?いや、それを知った後に検索してみると他にも数件あるにはあったけれど。俺の知っている否定論はそういうのではない。古代日本にキリスト教が伝わっていた証拠が無いだとか、想像の域を出ないとか、「厩戸」は地名だと言った話だ。しかし、イエスが馬小屋で産まれていないのなら、仮にキリスト教が古代日本に伝来していたとしても、それを元に聖徳太子の伝説が出来る可能性は限りなくゼロに近いのだ。というかそもそもそれを知っていたなら、久米博士だってそんな説を唱えなかったのではないか?否定論として前者を100回唱えるよりも後者を1回唱えた方が遥かに強力だ。


超マイナーな話だと言うなら、知識がある人がいても、もう一方の話を知らないので、そういう批判が出てこないのも理解できるが、そうではない。これは、この前の「淀君」の件でも思ったことだ。「徳川幕府家譜」に「朝日君」、「於江与君」と書かれているというが、それは誰でも知っていることではないが、知っている人は大勢いるはずなのだ。その中に「淀君」が蔑称だという説があることを知っている人も大勢いるはずなのだ。こういうことは他にもいっぱいあるんだろうなと思う。ネットで情報発信できる世の中なんだから、もっと知識を公開して欲しい。


あなたが今後も救世主たらんことを切に願います。