馬小屋と家畜小屋では大違い(その2)

厩戸皇子の出生伝説がキリスト教の影響で成立したという説は、隋唐の時代に中国にキリスト教が伝播し、それが日本の留学僧によって聖徳太子伝説に取り入れられたという説だ。


しかし、日本にキリスト教が渡来したという説は現在認められていない。日本に入ってきたのなら、聖徳太子伝説だけでなく他にもその影響があっても良さそうなものだが、はっきりとした証拠は何もない。


キリスト教が渡来した可能性でさえ低いのであるから、さらに『聖書』に記されていない、キリスト教社会の中でさえ、どれだけ流通していたか怪しい「家畜小屋」で生まれたという伝説が渡来した可能性はさらに低い。




話はここで終ってもいいのだけれど、そもそも俺が聖徳太子伝説と聖書の関係に注目したのは、キリスト教が直接に太子伝説に影響した可能性に注目したからではない。


世界には似たような神話が広く分布しているということは良くある。そういう話が俺は大好きだ。


聖徳太子伝説とキリスト伝説は受胎の場面が似ている。これは間違いなく繋がりがあると俺は思っている。もちろん、キリスト教の影響があったという意味ではない。原神話が存在して、それが東西に伝播したのだろうという意味だ。


そういう意味で厩での出生伝説にも注目していたのだ。しかし、キリストが馬小屋ではなく家畜小屋で生まれたのなら話は違ってくる(家畜小屋出生伝説ですら怪しいけれど)。


馬小屋であろうが家畜小屋であろうが大して違いはないとするのは同意しかねる。なぜなら、馬という共通点がなかったら二つの伝説はまるで似てないからだ。


キリストは大工の息子であり、厩戸皇子天皇の皇子。キリストは宿泊場所が無かったから家畜小屋で生まれたのであり厩戸皇子とは違う。そしてもちろんキリストは家畜小屋の中で出生したのだが、厩戸皇子は母が厩の戸に当たって産気付いたという話だ。一体どこが似ているというのだろう。


石井公成先生によれば、王宮内の乗り物用の象の小屋などを指す語として「象厩」という言葉があるそうだ。だから、これが象であればまだ僅かでも類話だと推定することもできなくはないかもしれない。しかし、キリストの周りにいた動物は牛や羊やロバであった可能性が高い。同じ家畜とはいえ、馬は戦闘用や乗り物として使用される(現在の車に相当する)。象もまたそうであろう。しかし牛や羊はそうではない。ロバは乗ることができるけれど少し違うと思う。そして何よりも、キリスト伝説では家畜が何であるかが示されていない。これは決定的な相違点だろう。


「馬」という共通点のみが両者を結び付けるポイントであり、実は馬小屋ではないということになれば、両者は全く違った話だと言わざるをえない。


さらに言えば、類似した伝説が二つだけしか存在しない(他に似た伝説があるという話を聞いたことがない)というのも、これは馬小屋ではなく家畜小屋だという話を知る前からだけれども不審に思っていたことである。