中国大返し(その3)の続き。
なぜ、現代の歴史家は「豊臣秀吉が織田信長の死を毛利方に伝えた」ことを認めようとしないのか?
その理由は、明記してない場合が多いので推測するしかない。
俺は、そこには現代の歴史研究を覆う「史観」が深く関係しているのだろうと思う。
それは「皇国史観」や「マルクス主義史観」などのようには知られていない。
というか、本人達は自分がその「史観」にどっぷり嵌っているという自覚が無い(だから厄介なのだ)。
その「史観」とは、既に何度もこのブログで指摘したが「陰謀論史観」のことだ。
別の言葉でいえば、「歴史史料は勝者に都合良く書かれているに違いない史観」だ。
具体的にいえば、信長の死を秘するという行為は「卑怯な行為」であって「都合の悪い事実」であり、、一方、敵方に信長の死を伝えるというのは「フェアプレイ」である。秀吉が「フェアプレイの精神」で、毛利方に信長の死を知らせたなどとは信じられない。みたいな。
そんな史料を素直に信じるのは、とんでもなく愚かで、アホで、間抜けな行為である。みたいな。
あまりにもその呪縛が強すぎて、逆に常識的な判断ができなくなってしまっているのだろう。