中国大返し(その3)

中国大返し(その2)の続き。


山路愛山の『豊臣秀吉 』(岩波文庫) は数年前図書館で借りたことがあるのだが、その時は「淀殿」について調べていたときなので該当部分しか読まなかった。先日また借りてきたのだが、秀吉の出生について調べていたので、その部分しか読まなかった。


近代デジタルライブラリー」に『豊太閤』というタイトルで公開されていることを知り、今回は中国大返しについての部分を見てみたところ、なんと驚くべきことに、

太閤記』に記したることの全く事実の核子(たね)なきものにあらぬことだけは疑ふべからず。

と秀吉方から毛利方に信長の死を伝えたことが有り得ることだと書いているのだ。


しかも、書かれていることの主旨は俺が考えていたことと同じ。


最近、「近代デジタルライブラリー」で昔の学者が書いたものを読む機会が多いのだが、現代の歴史家が主張していることよりも、明治の人が主張していることのほうが、理に適っていると思うことがしばしばある。なんというか、現在の歴史家の主張の方が荒唐無稽で常識に外れているのではないかと、そういうふうに思ってしまうのだ。


本当に歴史学は発展しているのだろうか?という疑問すら覚える。