松田修『太閤伝説の形成』の重要な指摘(その1)

松田修著作集【第一巻】』(右文書院 2002年)所収「太閤伝説の形成-英雄流離譚の流れ」を読む。


小和田哲男著『豊臣秀吉』(中公新書)で紹介されていた『太閤素性記』と説教節「愛護の若」との類似性についての指摘。


これについては既に俺は否定的見解を書いている。『太閤素性記』と「愛護の若」は貴種流離譚という大きなカテゴリーに属するという意味では類似しているということができるかもしれないが、貴種流離譚など世の中に山ほどあり、その中で特にこの二つの話が取り立てて似ているとは到底思えない。しかも、その類似性の指摘には「こじつけ」にしか見えない部分もある。


小和田哲男氏が『太閤素性記』を信用する理由
『太閤素性記』の類話(その1)
物語の類似性


これを書いた時には松田氏の原論文を見ていたわけではなかった。というわけで、念のために確認してみたのだが、当初の感想が大きく変わることはなかった。やはり、この指摘には疑問点が多々あり、俺には受け入れることができない。


ただし、この論文には一つだけとてつもなく重要な指摘があった。そのことについては次回。


(つづく)



※ところで、小和田哲男著『豊臣秀吉』には、

また、松田氏は、「若が絶望の目でうち眺めた琵琶の湖(近江)は、疲労のはての幼い秀吉が眺めたであろう浜名の湖(遠江)に通う」と指摘し、近江の琵琶湖と遠江浜名湖の場面設定のちがいはあるが、両者の漂浪については共通点がみられるとする。さらに、「愛護の若」では継母にいじめられるが、『太閤素性記』では継父筑阿弥にいじめられるという設定になっており、また、両方にサルが出てくることも興味深い。

と書いてあり、俺はこれに疑問を持ち、「俺の所有する『太閤素性記』に秀吉が継父にいじめられるという話は存在しない」と批判した。


ところが驚くべきことに松田氏の論文には、

(しかし『素性記』では陰惨な継子いじめの叙述が欠けている。かろうじて、朋輩の嫉みがそれに当るであろうか。このいわば「書かれざる部分」に対しては、後続の太閤伝記と太閤伝奇が筆を費やして補うもののようである)

と書いてあるのだ。この松田氏の主張も俺には受け入れ難いのだけれど、それはそれとして、これがどうして、小和田氏の「継父筑阿弥にいじめられるという設定になっており」という理解になるのか甚だ疑問に思うのである。