迹見首赤檮(とみのおびといちい)、那須与一の名前に共通する「いち」。
『信長公記』の作者太田牛一の「いち」について、「一方流琵琶法師」にならったものという指摘があるけれども、一方で牛一は弓の名手であるということにも関係があるように思われる。
そして、雑賀衆の鈴木孫一の「いち」もこれに連なるものではないかと思う。
鈴木 孫一(すずき まごいち、天文3年(1534年)? - 天正17年(1589年)5月2日?)は、雑賀衆の有力者の一人。雑賀孫一という名でも知られ、また孫市とする史料もある。
迹見首赤檮は弓で物部守屋を射た。那須与一は扇の的を射た。的を射るという意味で鉄炮も弓と同系統に属するだろう。
また雑賀党鈴木氏の家紋が八咫烏なのも気になるところ。
⇒鈴木氏 - Wikipedia
八咫烏は熊野信仰と関係があるのだろうけれど、カラスは太陽の象徴であり「太陽を射る話」の中にもカラスが登場するものがある。
鉄炮といえば織田信長の鉄炮の師匠は橋本一巴。
⇒橋本一巴 - Wikipedia
ここにも「一」があるけれど、名前の後ろではなくて前にあるので、関係あるのか無いのか微妙。