松田修『太閤伝説の形成』の重要な指摘(その2)

「太閤伝説の形成-英雄流離譚の流れ」で松田修氏が主張することの大半は俺には受け入れ難いものだ。はっきり言ってツッコミどころ満載である。


ただし、一つだけとてつもなく重要な指摘がある。


それは「牽馬」という地名に注目しているということだ。

 若が絶望の目でうち眺めた琵琶の湖(近江)は、疲労のはての幼い秀吉が眺めたであろう浜名の湖(遠江)に通う。たしかにここには宣命ものろいもない。しかし、そのような条件的欠陥は、牽馬川という地名を挙げることで補われて余りあるであろう。日本各地にあまねく存在する、馬を水にひきこむあやかしこそ、猿・淵猴・水猿・河童と多くの名と姿とをもちながらも、帰一して水神・農業神的性格を示すものであること、さきに挙げた『山島民譚集』『河童駒引考』等に詳しい。

ここに「牽馬」(引馬)という地名と「猿」の関係を指摘しているのだ。


※ただし、既に指摘したことだが、「疲労のはての幼い秀吉が眺めたであろう」などというような、伝説に具体的に記されていないことを想像によって補うのは「こじつけ」にしか思えない。
物語の類似性


ここに「牽馬」という地名が登場するのは、俺が考えるに、「愛護の若」などよりも遥かに『太閤素性記』に類似した話である「灰坊」において、馬が必ずといっていいほど登場することに関係すると考えるべきだ。
『太閤素性記』の類話(その6)


というわけで、上の短い引用ですら、大筋において俺は同意しかねるのだけれど、しかしただ一点「牽馬」という地名に注目したということだけは大いに評価できるのだ。


俺が松田氏がこんな指摘をしているということを知ったのは、今が初めてであり、間接的であっても聞いたことはなかった。俺が2006年に
秀吉と河童(トンデモ第二弾)
で「引馬」という地名に注目したのは全く独自のものである。当時、念のためにネットで調べたけれど、そんな話はネット上には無かった。


すなわち、「牽馬」という地名に注目した松田氏の考察は、昭和32年掲載論文を下敷きにしたものに昭和36年の論文を混ぜたものだそうだから、俺が「引馬」という地名に注目するよりも遥かに前に指摘されていたということになるが、今に至るまでほとんど注目されることなく埋もれているということなのだろう。


俺が「トンデモ」と断って、誰も指摘してないだろうと考えて書いたものが、実は既に大昔に学者によって指摘されていたものだったという話。