『太閤素性記』の類話(その1)

『太閤素性記』と説教節の「愛護の若」の類似性について松田修氏が指摘しているという話を上に書いた。


太閤伝説に似ているといえば似ているけれど、『太閤素性記』と似ているかというと、実のところほとんど似ていない。正直どこが似ているのか理解に苦しむ。



少なくとも『豊臣秀吉』(小和田哲男 中公新書)に書いてあることは「こじつけ」に近い。ここで指摘しているのは、

まず、なによりも、両者に共通するのは、日吉山王の信仰である。

とのことだ。確かに秀吉と日吉山王は関係がありそうだ。


ところが、『太閤素性記』には日吉山王信仰を窺わせるものはほとんど無いのだ。秀吉の幼名は「猿」であって「日吉丸」ではない。母が日吉権現に参拝して懐妊したという話もない。それどころか、母が日輪が懐中に入る夢を見て懐妊したので、幼名を日吉丸というという説があるが信じられないと書いてある。猿は日吉神社の神獣だから「日吉山王の信仰」が書いてあるとでも言いたいのだろうか?理解に苦しむ。


また、

また、松田氏は、「若が絶望の目でうち眺めた琵琶の湖(近江)は、疲労のはての幼い秀吉が眺めたであろう浜名の湖(遠江)に通う」と指摘し、近江の琵琶湖と遠江浜名湖の場面設定のちがいはあるが、両者の漂浪については共通点がみられるとする。

とある。ちょっと待ってくれと言いたい。『太閤素性記』に秀吉が浜名湖を眺めていたという描写があるのならともかく「眺めたであろう」とは何事か。そんなこと言ったら何でもありだ。これはもうトンデモといって差し支えないと思う。


次に、

さらに、「愛護の若」では継母にいじめられるが、『太閤素性記』では継父筑阿弥にいじめられるという設定になっており、

とある。これがわからない。


俺の所有する『太閤素性記』に秀吉が継父にいじめられるという話は存在しない(「史籍集覧」を図書館でコピーしたもの)。俺の読み方が悪いのかと何度も繰り返し見たがみつからない。一体どうなっているのだろう?


小和田氏は断定的に言っており、確かに俺も漫画だったか小説だったかで秀吉が継父にいじめられたという話を見たことはあるので不安になってくる。しかし何度繰り返し読んでもそんなことは書いてない。


※なお、桑田忠親豊臣秀吉』(角川文庫)は『太閤素性記』で秀吉が家を出た件について、

これは、一見、はなはだ頼りのない話のようだが、けっして、そうではない。義父の筑阿弥の世話になるのを、生母「なか」の手前、こころよしとしなかった秀吉が、亡父弥右衛門の意志をつぎ、武家奉公を決意したことを物語る。しかし、武家奉公するならば、なぜはじめから、尾張の大名織田家につかえなかっただろうか、という疑問がおこる。

とある。こっちには継父にいじめられたなんて説明はない。これはこれで、筑阿弥の世話になるのをこころよしとしなかったなんて、やっぱり書いてないことを言ってるけれど。


※(追記 16:30)

生活に多少とでもうるおいがあれば、継父筑阿弥と秀吉との仲はうまくいったかもしれない。ところが、生活がぎりぎりという状況では、なにか些細なことでも衝突の原因となり、秀吉はしょっちゅう継父筑阿弥に折檻される状態だったことが予想される。

豊臣秀吉』(小和田哲男 中公新書

だそうだ。すごい想像力だ。歴史学者と小説家の違いはどこにあるんだろう…



最後に、

また、両方にサルが出てくることも興味深い。

とある。「愛護の若」の猿というのは、「若」が父親に折檻されて木に吊るされたのを「手白の猿」が助けようとしたという話。ここで猿が出てくるのは「若」が死後山王権現としてまつられるということに関係するのだろうと思われ。しかし、上に書いたように『太閤素性記』で秀吉と日吉山王信仰の関係をうかがわせる記事は無い。


驚くべきことに、俺から見ると『太閤素性記』と「愛護の若」に類似性はほぼ皆無といっていい位無いのであった(広い意味では貴種流離譚に属するといえるだろうけれど)。


親が初瀬観音に子授けの願をかけたとか、比叡山西塔が出てくるとか、むしろ『真書太閤記』のほうが「愛護の若」に近い。
(ただし、もっと似ている話が他にある。それはまたあとで)



それにしても、松田氏については論文を当たってみないと迂闊なことは言えないけれど、小和田氏が提示したものはひどすぎるのではなかろうか。それと歴史家って割と簡単に原文に書いていないことを憶測で書いちゃうもんなんだなって思うのであった。


で、肝心の『太閤素性記』の類話についてだけど、それは次回。


(つづく)